「お茶」は薬だった! 古代から近世まで、茶はどのように飲まれてきたか
「茶」について古代から江戸時代までの中国と日本の医薬書・史料を渉猟した著者が、新たに明らかになった「薬としての茶」を、紹介・解説する。中国古代の理想の帝王「神農」が、毒にあたっても茶で解毒したのは本当か。栄西はなぜ『喫茶養生記』で茶と桑による養生法を書いたのか。数々のエピソードを交えながら、中国と日本の茶の交流史を明らかにしつつ、茶の効能と歴史を追う。
中国の医薬の祖という伝説の帝王「神農」には、「七十二毒に当たるも茶で解いた」という逸話がある。最古の茶書、陸羽の『茶経』でも「茶の飲用は神農氏に始まる」としており、現代中国や日本の多くの茶書で、後漢一~二世紀の成立とされる現存最古の本草書『神農本草経』にこの逸話があると記されている。一方で、本草書に茶が採録されるのは唐代の『新修本草』と記すものある。ところが、著者が『神農本草経』にあたっても、茶が神農の解毒剤となったという記事は出てこない。ならば、実際に神農の逸話はどこにあるのか、茶はいつから文献に現れるのか。著者の追究が始まる。「茶」を表す文字の変遷の跡づけを含め、謎解きを見るようである。
日本を顧みると、最初の茶書とも養生書ともされる栄西の『喫茶養生記』の特異性を指摘している。中国から入ってきた養生論の流れからみると、導引や房中などの養生術には触れられず、密教の加持と茶と桑の摂取のみ取り上げられているという点である。栄西は何故そのような養生書を書いたのか、新資料も交えその意図を明らかにしていく。
本書のように歴代の各種史料を「茶」で縦断した類書はなく、東洋医学・漢方・養生に関心のある方、茶とその受容に興味を持つ方には、ぜひお読みいただきたい。
著者メッセージ
いまや世界の飲料となった茶は、もともと中国に発し、日本にもたらされた。茶は飲料としてのみならず、周辺に美術・工芸・文学など豊かな文化をはぐくんできた。またさまざまな効能があり、それは中日のほとんどの医薬書に記されてきた。日本の医薬は江戸時代まで常に中国に学び展開してきたが、茶もまた同様であった。
今日、茶は日常の飲料となり、薬とは思えない。今の私たちにとって、薬は病気を治すものだからである。しかし古代中国では、病気にならないよう日頃から健康を保つ食品こそ良い薬(上薬)であった。そうした薬としての茶から始め、神農と茶との関わり、中日医薬書に記された茶について語り、また『仁和寺御室御物実録』の中の茶具、茶托、日本にもたらされた蠟茶と香茶などにも触れ、中日の関連が見えるよう交互に、喫茶の歴史を述べてみた。(「あとがき」より)
主要目次
第一章 茶薬同源をさぐる
第二章 中国 漢代から魏晋南北朝
第三章 中国 唐代
第四章 日本 喫茶の始まりから平安時代まで
第五章 中国 宋代
第六章 日本 鎌倉・室町・安土桃山時代
第七章 中国 金・元代
第八章 中国 明代
第九章 中国 清代
第十章 日本 江戸時代
あとがき
関連年表
主要参考文献
著者紹介
岩間 眞知子(いわま まちこ)
東京都生まれ。1978年早稲田大学文学研究科(美術史)修士課程修了。同年より81年9月まで東京国立博物館科学研究費特別研究員、また『日展史』編纂委員。
著書に『茶の医薬史―中国と日本』(思文閣出版)、『栄西と「喫茶養生記」』(静岡県茶業会議所)。共著に『集古十種』(名著普及会)、『日本美術襍稿』(明徳出版社)、『中国茶事典』(勉誠出版)、『新版 茶の機能』(農文協)ほか。
※著者紹介は書籍刊行時の情報です。