始め他国の文字として漢字を採用した日本人が、いかに漢文字を学ぶに勉め、いかにそれを知ること深く、精しきに至ったかは、自他共に認めざるを得ぬところであると思う。諸橋博士の大漢和辞典は、かかる日本人の能力を証示する大記念碑の一である。
小泉信三(1888~1966、経済学者)
「東洋の文化を運ぶ車であり舟である」漢字の、空前と言いうる、そして理想に近いこの大辞典によって東洋文化の或る新しい認識が普及するであろう事は、期して待つべきである。
新関良三(1889~1979、ドイツ文学者)
明治以来、欧州の学問の方法が輸入されて約百年になるが、自分の国の日本国語字典に完全な学術的なものが編纂されていないのに、漢字に関しては世界的なこの大漢和が出始めていることは、この著者に対して心底からの敬意と感謝とを表明しなくければならない。
鈴木信太郎(1895~1970、フランス文学者)
中国に不朽の盛事とか経国の大業とかの古い言葉があるが、諸橋博士の大漢和辞典ほどこの言葉によく当てはまるものはない。わたくしは敢えて日本に文献あって以来の最大の鴻業と謂うてはばからない。
神田喜一郎(1897~1984、漢学者)
大漢和辞典は、漢文学・国文学の研究者にとって必要不可欠の辞典であり、全国の学校・図書館においては必ず備えなければならぬ辞典であろう。
玉井幸助(1882~1969、国文学者)
自分として、最も感謝したいのは、先生の字典によりて、漢人系の文化を担って行く漢文字が、かくも広汎に蒐められて、厖大な本に出来上がったことは、東方文化を永く世界に留め、その上、泰西の学者達に、吾等の間に、どんなものが有るかと云うことを知らせ得る機会になったと云う事実である。
鈴木大拙(1870~1966、仏教学者)
諸橋大漢和辞典は、私の座右の書である。……この辞典は、日本人が昭和という時代に持ち得た最も確かで輝かしい宝として、久しい未来にまで受けつがれねばなるまい。
大岡信(1931~、詩人・評論家)
諸橋轍次先生の大漢和辞典は世界における最も偉大な辞典の一つである。或はユニークな辞典であるとも言えるかもしれない。
E・G・サイデンステッカー(1921~2007、日本文学研究家)
諸橋轍次先生の「大漢和辞典」を見ると、私は文字を読む以前に、ご自分の視力と引きかえに、地上に存在するすべての漢字をこの本に凝集された先生の崇高な努力に、心がふるえてしまうのです。
鈴木健二(1929~、アナウンサー)
漢字が持っているイメージの喚起力は、言葉から汚れた通念の埃をはぎとる作用を内蔵し、その意味で伝統に根ざした感性の革新のための武器であり、この十三巻におよぶ辞典は、その武器をもっとも豊富に収納した感性の弾薬庫だと言うことができる。
堤清二(1927~2013、経営者・詩人)