明治16年(1883) | 6月4日、新潟県南蒲原郡四ツ沢村(旧、下田村。現在は合併により三条市内)に諸橋安平・シヅの次男として生まれる。初め尚由子、後に止軒と号す。 |
明治20年(1887) 4歳 | 父に従い「三字経」の素読を学ぶ。 |
明治29年(1896) 13歳 | 3月、四ツ沢村立尋常小学校補習科卒業。 4月、南蒲原郡本下田村院内奥畑米峯の静修義塾に入り、以来3年間専ら漢学を修業。 |
明治37年(1904) 21歳 | 3月、新潟県第一師範学校卒業。 4月、東京高等師範学校入学。 |
明治41年(1908) 25歳 | 3月、東京高等師範学校国語漢文科卒業。 4月、群馬県師範学校教諭兼舎監となる。 |
明治43年(1910) 27歳 | 3月、東京高等師範学校研究科卒業。 4月、東京高等師範学校助教諭となる。 |
大正2年(1913) 30歳 | 4月、東京高等師範学校教諭となる。 |
大正8年(1919) 36歳 | 8月、文部省より中国哲学及び中国文学研究のため二か年間中国留学を銘ぜられ、 9月、留学の途に上る。 |
大正10年(1921) 38歳 | 8月、帰国。同月、岩崎男爵より静嘉堂文庫長を委嘱される。 9月、東京高等師範学校教授となる。 |
昭和2年(1927) 44歳 | 6月、大修館書店との間に『大漢和辞典』編纂の約定成る。 |
昭和4年(1929) 46歳 | 1月、『儒学の目的と宋儒の活動』により東京帝国大学より文学博士の学位を授けられる。 |
昭和5年(1930) 47歳 | 4月、東京文理科大学教授となる。 |
昭和7年(1932) 49歳 | 3月、東京文理科大学付属図書館長となる。 |
昭和11年(1936) 53歳 | 1月、講書始の儀に漢籍進講を仰せつけられる。 |
昭和12年(1937) 54歳 | 1月、講書始の儀に漢籍進講を仰せつけられる。 |
昭和18年(1943) 60歳 | 9月、『大漢和辞典』巻1発行。 |
昭和19年(1944) 61歳 | 1月、『大漢和辞典』の編纂により朝日新聞社より昭和18年度朝日文化賞を受ける。 8月、従三位に叙せられる。 |
昭和20年(1945) 62歳 | 2月、大空襲により『大漢和辞典』全巻の組版及び資料を焼失。 10月、東京文理科大学教授兼東京高等師範学校教授を辞任。正三位に叙せられる。 11月、宮内省御用掛を仰せつけられる。 12月、学習院講師となる。 |
昭和21年(1946) 63歳 | 5月、東京文理科大学名誉教授となる。 6月、小金井東宮仮御所において皇太子明仁親王殿下に対し初めて漢学を進講する。以後6年間毎週2回ずつ学習院教室において進講する。 11月、春に手術した右眼が全く失明する。 |
昭和27年(1952) 69歳 | 2月、6年間にわたる皇太子殿下に対する御進講終了。 |
昭和30年(1955) 72歳 | 2月、静嘉堂文庫長を辞任。 5月、順天堂病院にて開眼手術を受ける。 11月、『大漢和辞典』の原稿完成により、紫綬褒章を授けられる。同月、改めて『大漢和辞典』巻1刊行。 |
昭和32年(1957) 74歳 | 9月、都留短期大学学長に就任。 |
昭和35年(1960) 77歳 | 2月、都留文科大学創設され、学長となる。同月、皇孫浩宮徳仁親王御降誕に際し、御名号・御称号を勘申する。 5月、中華民国政府より学術奨章を受ける。同月、『大漢和辞典』刊行完結。 |
昭和37年(1962) 79歳 | 8月、郷里下田村の名誉村民として推戴される。 |
昭和39年(1964) 81歳 | 3月、都留文科大学学長を辞任。 4月、第一回生存者受勲に際し、銀盃御下賜。 |
昭和40年(1965) 82歳 | 11月、文化勲章を授与せられる。同月、文化功労者として顕彰せられる。同月、第二皇孫、礼宮文仁親王御降誕に際し、御名号・御称号を勘申する。 |
昭和44年(1969) 86歳 | 4月、皇孫、紀宮清子内親王御降誕に際し、御名号・御称号を勘申する。 |
昭和51年(1976) 93歳 | 11月、勲一等瑞宝章を授けられる。 |
昭和52年(1977) 94歳 | 9月、『諸橋轍次著作集』全10巻刊行完結。 |
昭和57年(1982) 99歳 | 9月、『広漢和辞典』全4巻刊行完結。 12月8日、老衰のため永眠。同日付銀盃一組御下賜。 12月25日、青山葬儀所において葬儀・告別式を執行。 翌年3月13日、郷里下田村総合体育館において名誉村民としての村葬執行される。 |
昭和58年(1983) | 11月、東京・三省堂書店神田本店にて「諸橋轍次博士遺墨遺品展」(大修館書店創業65周年記念フェア)が開催される。 |
昭和62年(1987) | 1月、新潟伊勢丹にて「諸橋轍次博士遺墨遺品展」(主催・新潟日報社)が開催される。 |
平成4年(1992) | 11月、故郷の新潟県南蒲原郡下田村大字庭月(現・三条市内)に「漢学の里 諸橋轍次記念館」が開館。同時に、記念館編『諸橋轍次博士の生涯』が刊行される。 |
平成15年(2003) | 9月、生誕120周年を記念した「北京市第二回日漢双語辞書学術シンポジウム」が、北京市の中国人民大学で開かれる。 |
平成19年(2007) | 1月、東京の表参道・新潟館ネスパスにて、「諸橋轍次博士と大漢和辞典」(新潟県文化振興財団25周年特別企画展)が開かれる。 |
平成25年(2013) | 生誕130周年を記念し、諸橋轍次記念館にて各種行事が行われ、『清風の人 諸橋轍次博士を偲んで──諸橋轍次博士生誕百三十周年記念事業誌』が刊行される。 |
(鎌田正博士作成の年譜をもとに、若干補筆しました)