当館では、『大漢和辞典』を始めとする漢和辞典を発行する大修館書店が、漢字や漢詩・漢文などに関するさまざまな情報を提供していきます。

読み物

連載記事

眼科医の間で議論された漢字

 前回は大西克知を取り上げて、眼科の中でも先駆けて「近視と漢字」というテーマで漢字の簡略化を提唱したことを紹介した。大西の後にも眼科医の間では、漢字や文字一般というテーマで研究や議論が続いており、その活発さは医学の中でも有数のものだった。眼科医たちは漢字のどこに着目して、その成果がどのように利用されたのか、その一端をみてみよう。

 大西克知が『学生近視ノ一予防策』を発表した1897年からしばらくは、眼科から見た漢字についての議論は活発にならなかった。明治から大正にかけて東京帝国大学眼科学教授を30年近くつとめた河本重次郎が、眼の運動や視野を理由に、縦書きの漢字より横書きのローマ字の方が「規則に合っている」とする短い文章を書き、京都大学学生の山中孝彦と八木精一が近視予防のために漢字制限と異体字の廃止を論じたものがあったが、いずれも単発的で、おおざっぱにみて20年ほどの空白期間があった。
 その間に、別の方向から似たような研究が出た。文部省の国語調査委員会の野村宗十郎が東京帝国大学心理教室の桑田芳蔵に委託した、活字の可読性に関する研究だ。桑田は活字の大きさと読みやすさの関係についてなどの論文を発表した。前回でた元良勇次郎もこの桑田芳蔵も医師ではなく心理学者であり、文字の見え方を研究するにあたって必ずしも医学的知識を要していたわけではなさそうだということがわかる。

 これに遅れて、医学分野で再度議論がおこる火付け役になったのは、河本重次郎の教え子で、小口病の発見者である小口忠太[おぐち・ちゅうた]だった。やや脱線すると、小口病は日本人名のつく病名ということで珍しいが、その眼底所見である「水尾-中村現象」は、現代の用語集には載っていないものの、日本人2名の名前がつく、さらに珍しい用語だ。さてその小口は、やはり近視と漢字というテーマで1920年に論考を発表し、大西克知の「省字」を支持しつつ、さらに振り仮名の廃止などを提案したが、「イッコウニ反響ガアリマセンデシタ」という。そこで眼科学会で「国字問題」をテーマにすることを提案し、それが了承された。
 1928年の眼科学会は、「国字ニ関スル眼科学的研究」をテーマとして掲げた。文字をテーマとする医学系学会はかなり珍しいのではないだろうか。雑誌には17の演題の要旨が載っており、この数は小口の予想をこえたものであったようだ。

表、1928年眼科学会の発表テーマ

 どんな発表があったのかを表にまとめた。実験の被験者についてはっきり書いていないものも多いが、大半は健常者を対象としているようで、実験心理学の方法での研究が多い。眼科疾患とからめているものは鹿児島茂(上表 15)の研究だけであった。テーマをみると、半数近くが書字方向を題材にしていることがわかる。(縦)(横)と書いているのは、実験の結果、縦書きと横書きのどちらが好ましいかという結論なのだが、両者は見事に拮抗している。ひらがなとカタカナとで縦横どちらが好ましいか結果が変わってしまった発表もあった。井上達二(上表 1)のように「国字改良ノ順序トシテ」と言ってしまうなど、主義主張が根底に見え隠れしていることもあって、議論はまとまらなかった。小口は後に、縦書き説は、ふだん縦書きを使っているという習慣性を考慮していないとまとめている。つまり、ふだん縦書きになじんでいる被験者でも横書きが好ましいという実験結果が出たのなら、横書きの方が望ましいということになる。この実験結果が出る前から当時は、医学雑誌も縦書きから横書きへと趨勢が変わっていく時期にあった。
  もう一つ結果が分かれたものがあった。どの書体が読みやすいか優劣をつけるというもので、書家で眼科医の恒川亮彦の研究(上表 9)では、明朝体>清朝体>ゴシック体>丸ゴシック体という順番だったが、水尾-中村現象の発見者である中村文平の研究(上表 11)では、ゴシック体>丸ゴシック体>明朝体>隷書体という順番になった。ゴシックと明朝の優劣は発表後の討論でも定まらなかった。

 この1928年眼科学会のあと、眼科学者が書字方向や活字の大きさについて検証する論考が何本か発表されており、学会で議論されたというインパクトはあったのだろう。活字の見やすさについては、部屋の明るさなどの方面から他の学会でも研究がなされた。しかし、眼科医たちの実験結果は、国語国字問題全体を大きく方向づけるほどの知見とまではならなかった。それもあってか、眼科医の興味も書字方向や書体ではなく、近視と漢字というポイントに絞られていく。昭和初期から戦時中にかけて医学者の間で国語国字問題が議論された場として、国語愛護同盟や国語協会の医学部会があり、そこに眼科医として井上達二が参加している。そこでも近視予防を理由に、画数の少ない漢字、大きい活字を提案するにとどまり、必ずしも眼科医が運動の中心となっていたわけではなかった。

 戦後になると医学界全体でことばに関する議論はやや下火になった。眼科も、軍事的な理由で近視予防を研究する必要がなくなったはずなのだが、その後も議論が続いた。次回述べる井上達二や石原忍など、戦前からの論者が戦後も議論を続けたというのもあるのだが、戦後新たに生まれた議論もあった。その例として弓削経一[ゆげ・つねかず]を取り上げよう。弓削は眼科の中でも斜視や弱視という分野で功績を残し、京都府立医科大学の眼科学教授を務めた人物だ。弓削が影響を受けた著作として、倉石武四郎(中国語学者)の『漢字の運命』と柳田国男の『国語の将来』が挙げられるが、これだけを見ると、これまでの眼科医の議論と必ずしも連続しているようには見えない。石原忍のような戦前からの論者ともやりとりをしていることから、眼科医の議論の影響はゼロではなかっただろう。ともかく特に漢字が表音文字にとってかわられると述べた倉石に傾倒していたようで、日本の医学は外国語でやるか、漢字を廃止してカナ書きでやるかの2択であると確信的に述べた。弓削は漢字を使わない実践として、カナ書きの論文(「ボゥスイノダイナミックス」)を発表したが、「読みにくい」という批判が多く来たようだ。それでも批判的な論調が「逆になる時がくることは、私には、はっきりと、予見できるのである」と自信たっぷりであった。とはいえ、カナ書きには同音異義語という弱点があることは述べており、漢字なき世の用語を見据えた解決策として用語を訓読みに変えることを提案した。例えば頸動脈を「クビドーミャク」とするなどだ。

図、カナ書きの論考「ボゥスイノダイナミックス」

 同音異義語を避けるために用語自体を変更していく試みを、弓削は自身の著作でも行っていた。1963年の『斜視および弱視』では、「異様に思われる言葉も繰り返し口にしているとやがて自然に使えるようになる」と述べて、独自の用語を使っている。例えば、「外転」を「外ひき」、「輻輳[ふくそう]」を「内よせ」としていた。
 事態は弓削個人だけにとどまらなかった。眼科学会で用語集の選定にあたっていた加藤謙(日本大学眼科学教授)は、弓削の意見に驚きつつも同調し、「漢字用語の運命は孰[いず]れにせよ暗い」と述べた。そして、難しい漢字をなくすことや画数の少ない字を選ぶことなどの方針を改めて打ち出し、できあがった『眼科用語とその解説』には、すでに検討された用語として弓削の「外ひき」も載っていた。最新の『眼科用語集』第6版(2017年)にも「外転」と並んで括弧書きだが「外ひき」も残っている。もう一つ、弓削と加藤の考え方によって用語が変わった例として、「輻輳」→「輻湊」がある。これは画数の少ない字を選ぶ方針に従うもので、戦前の用語集では「輻輳」となっていたものを、使用頻度の少ない「輳」を避けて「湊」を選んだ。「輻湊」という書き方自体は戦前からあり、これを採用した形だ。

 このように現代の用語集にまで影響を与えた弓削だったが、晩年に彼を「完全に挫折」に追い込んだのはワープロの登場だった。ワープロの便利さゆえに、漢字追放という理想に対しても自信を失ったようだ。それでもワープロ中毒が増えれば、むしろ漢字中毒になってカナ書き主義に転向するかもしれないという希望は抱いていた。現代のように文字を入力する時代を、弓削はどうみるのだろう。
 結果的に弓削の見通しは今のところは外れているわけだが、「近視予防」から「漢字廃止」に目的が変わっても眼科学会の中で議論が続いたのは、戦前の大西克知や眼科学会の議論の下地があったからではないだろうか。

—-
[参考文献]
小口忠太(1920)「漢字(活字)ト視力ニ対スル研究」日本眼科学会雑誌24 (9),p.647-660
小口忠太(1929)「眼科デ研究シタ国字問題」カナノヒカリ89,p.2
加藤謙(1968)「眼科用語の選定について(2)」眼科10(2),p.132-137
加藤謙(1978)『眼科用語とその解説』金原出版
倉石武四郎(1952)『漢字の運命』岩波書店
桑田芳蔵(1921)「活字の可読性に関する実験的研究」心理研究 20(116),p.123-130
河本重次郎(1908)「眼より見たる羅馬字と漢字」『文士宝典』p.115-116
佐藤勉(1945)「国字と眼科学者の研究」『漢字と日本の将来』p.83-94
安田敏朗(2016)『漢字廃止の思想史』平凡社
矢作勝美(1972)「和文活字の可読性研究の系譜―その成果と今後の課題―」出版研究3,p.90-123
山中孝彦、八木精一(1910)「目ト漢字」衛生学及細菌学時報4 ,p.62-84
弓削経一(1961)「ボゥスイノダイナミックス(1)」臨床眼科15(5),p.635-644
弓削経一(1963)『斜視および弱視』南山堂
弓削経一(1966)「医学と言葉の問題」臨床眼科20(6),p.925-927
弓削経一(1968)「日本語医学用語の将来」眼科10(8),p.610-612
弓削経一(1988)『蛙日記―弓削経一著作集』つむぎ出版
「「眼科用語集」の解説」日本眼科学会雑誌103(2),p.151-161 (1999年)
「宿題「国字ニ関スル眼科学的研究」講演録」日本眼科学会雑誌32(5),p.399-485 (1928年)

(c)Yutaro Nishijima

 

  • facebookでシェア
  • twitterでシェア

おすすめ記事

体感!痛感?中国文化

医学をめぐる漢字の不思議

『漢文教室』クラシックス

写真でたどる『大漢和辞典』編纂史