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「鼠径」部のなりたち

 鼠径[そけい]部というのは、足のつけね付近のことをいう。例えば鼠径ヘルニアという病気があるので、「鼠径」という用語を聞いたことのある人もいるかもしれない。ふと考えてみると、どうして人体の場所で「鼠」がつく場所があるのか、不思議だ。足のつけねをみても「鼠」らしい部分は見当たらない。
 解剖学書をみると、精巣(睾丸)を鼠にたとえる記述がみられる。実は、生まれてくる前に、精巣は当初、赤ちゃんのおなかの中にあって、鼠径部にある管(鼠径管という)を通って、陰嚢に収まるという大移動をしている。精巣が鼠だとしたら、鼠径部はその通り道(「鼠」の「径」路)ということになるわけだ。
 調べてみると、この解釈はどうやら後世の後付けで、事態はそう単純ではないようだ。というのは、こういった解剖学の知識が明らかになるより前の漢方の古典の時点から、「鼠」の字が使われているからだ。少し複雑な経緯になるので、下に図を示す。これをみながら、中国の漢方の古典に遡ってみてみよう。

図. 鼠僕→鼠径の変遷(点線は想定されるつながり)

 鼠径という言葉の歴史をたどっていくと、『素問』という漢方医学の重要な古典にたどり着いた。明代の顧従徳[こじゅうとく]本と呼ばれるテキストを見ると「鼠僕」ということばが出てくる。これは鍼で刺してはいけない箇所を説明する刺禁論というところで、「気街」という足のつけねあたりにある経穴(ツボ)のあたりを刺すと、体表に血は出ないが、血がたまって腫れる、とあり、そこに「鼠僕」という言葉が出てくる。現代でも心臓カテーテル検査などで、鼠径部から動脈を穿刺して検査・治療を行うので、処置後にしっかり押さえて止血しないと腫れあがってしまう。
 さて「鼠僕」という字面をみると、「鼠」はわかっても、「僕」が何者かわかりにくい。ここで「鼠璞[そはく]」という故事が参考になる。古代中国の鄭の国では宝石の玉を表す「璞」が、周の国では「璞」は干からびた鼠を表していて、鄭の人が宝石だと思って買ったら、実は鼠だったという話だ。「へん」は違うが「鼠僕」も「鼠璞」と同様に、「鼠」という意味だったのではないかというのが、すでに江戸時代の経穴学書『経穴彙解』や、素問の注釈書『素問識』に書かれている。血で腫れあがった部分を「鼠」と表現したという解釈もあるが、『素問』の注釈で知られる江戸末期の森立之の『素問攷註』では、「鼠僕」という場所が腫れあがったのだということが書かれている。すると結局どれが「鼠」で、どうして「鼠」の字を使うのか、わからなくなってくる。

 

 ともあれ重要な古典である『素問』に使われたこの語は、このあと劇的に変化していくことになる。この「鼠僕」の変化の過渡期を見ていると思われるのが、『針灸甲乙経』という鍼灸の古典にでてくる「鼠」と「僕」が一体化した字だ。意味のわかりにくい「僕」の字に鼠へんをつけることで、「鼠」という意味を明確化させた字ととらえることができる。

『針灸甲乙経』巻5

 上記の字はこれ以外に見つけられていないが、ここから「にんべん」がなくなった(あるいは、僕の字の「にんべん」を「ねずみへん」に入れ替えた)「」という字が、『千金翼方』という医学書に見られる。

『千金翼方』巻36

 日本最古の医学書である国宝の『医心方』には「鼠」とあって、旁が「業」になっている。「」という字は、「」と形がかなり似ていることと、『康煕字典』をみても音が「ボク」に相当する字音となっていて、これは「」と同じなので、おそらく「」の字の写し間違いなのだろう。同じく「業」を使った「鼠𦡧」という表記が、『諸病源候論』という医学書にあるが、その箇所が『素問識』に引用されたときの字体は「」になっている。こうしてみると、筆写される過程でさまざまなバリエーションが生まれていたことがわかる。

 ここまででは、まだ「鼠径」という言葉には遠い。
 おそらく「」の字から派生したと思われるのが、「鼷」の字だ。実はこの字も、先ほど出てきた『針灸甲乙経』の別の箇所に出てくる。この字の近くには、帰来という経穴の別名である「谿穴」という用語が書かれていて、この「谿」という字に影響を受けて、「奚」と「菐」の字を書き間違えた可能性があると思っている。たしかに両者は、どちらも上の方に点が並んでいて、下の方は「大」のようになっていて、遠目に見たら似ている気もする。この『甲乙経』の「鼷」が「」の誤字だというのは、先ほど述べた森立之も言及している。

『針灸甲乙経』巻3

 この「鼠鼷」という用語は、『針灸甲乙経』以外にも、『素問』の注(宋の林億のよる)に使われたためか、多くの医学書にでてくる。宋以前の漢方医学書の姿、とくに細かい字体は詳しく分からないので、宋のころにはすでに「鼠僕」→「鼠鼷」という変化が起きていたのだろうと推測できる。
 ちなみに、「」と「鼷」とが書き間違いだとしても、音符の「奚」と「菐」は読みが違うので、さすがに変わったことに気付かれたのではないかという考えもできる。ただ「鼷鼠」という単語もハツカネズミを指すようで、「鼠鼷」でも「鼠」でも結局「ネズミ」という意味に大きく差がないため、定着できたのではないかと思う。
 時代が大きく下って、清の時代に編まれた『医宗金鑑』という医学書では、足のつけねの「肉核」を「鼠鼷」と呼んでいる。そのあたりにある「肉核」らしきものというと、鼠径リンパ節がある。梅毒にかかるとこの鼠径リンパ節が腫脹し、当時これは「便毒」あるいは「よこね」と呼ばれていた(現代では無痛性横痃[おうげん]と呼ばれる)。当時は梅毒が流行していたため、便毒とそれが生じる鼠径部についての記載は、日本の医学書でもたびたび見られるのだが、鼠径部はたいてい「腹股合縫の処」、つまり腹と股の境目だと書かれていて、まだ「鼠」との結びつきは強くない。1786年の片倉鶴陵[かくりょう]による梅毒についての医学書『黴厲[ばいらい]新書』には、便毒によるリンパ節腫脹のはじまりを「鼠鼷核」と呼んでいる。このころには、ふくれたリンパ節を「鼠」に見立てるようになっていたのかもしれない。

 次に「鼠鼷」から「鼠蹊」に表記が変わっていくのだが、今のところ指摘されている古い例は、1810年の藤林普山『訳鍵[やっけん]』の例だ(笹原宏之氏による)。『訳鍵』はオランダ語の辞書で、藤林普山の師である稲村三伯(海上随鴎)が編纂に従事した、同じく蘭日辞書『ハルマ和解』(江戸ハルマ)の収録語数を絞ったものだ。実は『訳鍵』からさかのぼって、1796年の『ハルマ和解』にも、Lieschというオランダ語に対して「鼠蹊、股腹合縫ノ処」とあり、「蹊」の字がでてくる。隣にあるLieschgezwelには「便毒」という訳語を当てているので、梅毒関連という文脈が辞書編纂者の頭にはあったものと思われる。この10年前の『黴厲新書』では「鼠鼷」表記だったので、この間に変わったのかもしれない。「ねずみへん」から「あしへん」に変わった理由は定かではないが、おそらく「足」のつけねにあるからだろう。
 『訳鍵』は対訳辞書であることから参考にされることが多く、この「鼠蹊」表記も広まっていったと思われる。ただ当時の有名な解剖学書である『解体新書』『重訂解体新書』などではまだ「鼠蹊」はつかわれず、少し遅れて新宮涼庭『解体則』(1858年刊)などで「鼠蹊」という表記が使われるようになった。そして明治以降には「鼠蹊」表記が一般的となっていった。

 続く変化として、昭和初期に解剖学用語を簡略化しようという動きがあって、1944年に『解剖学用語』として結実した。そこで「鼠蹊」から「鼠径」に変更されている。注釈をみると、鼠径の語源は不明だが、同じ意味の字を利用して「蹊」から「径」に簡略化したことが書かれている。蘭学の時代から100年以上たって、「蹊」の字が、ネズミ関連の字から変わってきたことがもはや忘れられていたようだ。
 この変更は医学分野全体にも普及し、1975年の日本医学会の『医学用語辞典』では、さらに「鼠」の略字表記を採用して、「鼡径」としている。その後の用語辞典では、「鼠径」が見出しになっていて、「鼡径」表記もあり得るという形になっている。
 「鼠僕」から「鼡径」まで、後ろの字が変化することで、「鼠」の解釈も変化をみせた。こうみると「鼠」の「径」路ではないことは、もうわかるだろう。それにしても激しい変遷ぶりであり、重要古典とされるテキストからくる用語であっても、ここまで変化しうることに驚きを覚える。

※画像はすべて京都大学貴重資料デジタルアーカイブより

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[参考文献]
金棟・劉継民 (1997)「“鼠僕”小考」中医文献雑誌 1997年 第2期 p.18
笹原宏之 (2007)「鼠蹊の語源」日本医事新報 4321, p.116-117
北条暉幸 (1984)「解剖学教育における用語の検討(1)—脛と鼡」産業医科大学雑誌6(4), p.433-436
『黄帝内経古注選集3 素問攷注3』オリエント出版社、1985年

(c)Yutaro Nishijima

 

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