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「腟」「膣」はどのように使われ始めたか

 「腟」「膣」というと、尾籠な話と思われる方がいたら申し訳ないが、この字はかなり興味深い歴史を経ている。現在、女性生殖器の名称として使われていることはいうまでもないが、その使い方は日本で、そして蘭学の時代に生まれたものだった。今回は、どのように使われ始めたのか、どうして二つあるのか、どうして「チツ」と読むのか、ということについて取り上げよう。そして、どうして今も混在しているのか、どちらが「正しい」のかという疑問は次回取り上げることにする。
 まずはじめに、「腟」「膣」はいわゆる国字、すなわち日本製漢字ではない。「腺」や「膵」といった日本製漢字が成功をおさめ、また「腟」「膣」も一字で西洋医学の概念を表した成功例なので、誤解を生みやすい。これは中国の辞書に載っているものを大槻玄沢が「再利用」したものだった。
 「腟」「膣」にあたる部分を、蘭学以前の医学では「陰門(陰部にある出入口)」や「産門(出産のときの出口)」などと表現していた。これをオランダ語ではscheede(英語で言うとsheathに相当)といい、『解体新書』ではこの部分を「莢(サヤ)」と訳した。サヤエンドウの「サヤ」だ。大槻玄沢は『解体新書』の改訂作業にあたっており、1798年に原稿が完成するのだが、その1年前の1797年に刊行された『官能真言』という本に「室(サヤ)」とある。この「室」が「腟」字がうまれる前段階だったと思われる。

大槻玄沢『官能真言』(左側一字目)

大槻玄沢『翻訳新定名義解』(『重訂解体新書』に附随)

 1798年にできた『重訂解体新書』の原稿は早稲田大学に所蔵されており、そこに「腟」の字が現れる(画像は1826年の刊本のもの)。説明文(2行目)に「男茎受容の室(サヤ)なり」とあるように、オランダ語scheedeをやはり「室」と翻訳している。「腟」という字に、オランダ語の翻訳である「室」と、臓器を表す「月(にくづき)」を加えた「会意」という意図をもたせていたようだ。大槻玄沢は「製字」「新たに字を製して」と書いてはいるが、以前の回でみたように、玄沢はもともとある字を再利用して医学用語をつくっていたので、これを額面通りに受け取ってはいけない。玄沢は、字書に「尺栗切」の音で載っている「腟」とは違うと書いているのだが、それはつまり、字書に同じ形の字があることを把握していたということを表す。そして読みは「尺栗切」「音叱」つまり「シツ」と読ませていた。使われはじめの読みは、現在の「チツ」と違っていたのだ。

 では、もともとある「腟」という字は何者なのだろう。「腟」と「膣」とを中国の字書で引き比べてみると、表のようになった(〇〇切や音〇は発音を表す。相当する日本語の音読みを括弧に示した)。ちなみに意味はどれも「肉が生じる」というように載っていて、現代の女性生殖器の意味とはもちろん異なっている。字書によって異なるのは、字音(音読み)だ。こうやってみると「腟」も「膣」も大多数には「チツ」という読みで載っているが、一部『字彙』や『正字通』の「腟」には「シツ」の読みがある。大槻玄沢はこの一部だけの読みを採用していたことがわかる。とはいえ、権威とされた『康煕字典』をはじめとした多数派である「チツ」の読みも無視できない。蘭学の時代の人でも、「腟」を字書でひいたら「チツ」の読みにでくわすことの方が多かっただろう。
 そういった理由なのかはわからないが、『重訂解体新書』の用語を参考に書かれた、1805年の宇田川榛斎『医範提綱』では、「腟」の字を使いつつ、横に「チツ」のふりがなを振っている。この『医範提綱』は広く読まれたので、「腟」の字と「チツ」の読みが広がったのだろうと考えている。

表. 「腟」「膣」の字書上の読み

 ここまで、まだ「膣」はでてきていない。女性生殖器の意味の「膣」がいつ出現したかははっきりとしたことはわかっていなかった。具体的にそれに言及しているものとして、府川充男氏が1872年『和英語林集成』再版にあることを指摘しているくらいだった。1872年というと明治初期だ。大槻玄沢の『重訂解体新書』の原稿からは80年近く経過している。では江戸時代にはないのかと思い、筆者が探してみたところ、7冊の医学書で見つけることができた。
 決定的だと思われるのは、緒方洪庵の『扶氏経験遺訓[ふしけいけんいくん]』だ。フーフェラントの医学書の翻訳で、1857年から数年にわたって刊行された。緒方洪庵は適塾で福沢諭吉など多くの門下生を育てたことで知られ、『扶氏経験遺訓』はその代表作とされる。そこに複数の「膣」の字があるのだ。むしろ当時の医学書で圧倒的多数を占める「腟」の字は使われていなかった。緒方洪庵は字体について細かく注文するなど、こだわりをもっていたという指摘がある(浅野2019)。経緯はわからないが、「膣」の字もこだわりの結果なのかもしれない。緒方洪庵の影響力、そして「膣」の字が印刷物として流布したことが、「膣」の字が広まった大きな要因だと思っている。

緒方洪庵『扶氏経験遺訓』巻5(画像二行目「膣内熱シテ」)

 では緒方洪庵が「膣」の字を使い始めたのかというと、それははっきりしない。筆者は、緒方洪庵はすでに出現していた「膣」を採用したに過ぎないのではないかと思っている。「膣」の字を見つけた残り6冊の医学書は、ほとんどで「腟」「膣」の字がごちゃごちゃに混在していた。「腟」から「膣」が生まれる要因として考えられるのは、ウかんむりと穴かんむりとが交換されうるということ(杉本つとむ氏の指摘)、「チツ」の字音にしっくりくる「窒」をつい書いてしまったこと、がある。どちらにしても自然発生的に出現しうるので、ごちゃごちゃな混在っぷりはその過渡期を見ているのではないかと思っている。もし緒方洪庵が提唱者でその影響力で使われ始めているのだとしたら、これらはあまりにも統一されていないようにも思う。これは推測でしかないが、緒方洪庵は、混在している「腟」「膣」のうち、字音「チツ」とつくりの音が一致している「膣」のほうが読者の理解によいと思ったのではなかろうか。
 煮え切らないのは「膣」が出現した年代が確定しきれないことにも原因がある。緒方洪庵のもの以外の6冊は、どれも写本(手で書き写したもの)で、元の医学書ができた年代はわかっても、書き写した年代がはっきりしないものが多い。唯一はっきりしているのは1859年のもので『扶氏経験遺訓』の刊行とほぼ同時期だ。今のところ、遅くとも1850年代には「膣」の字が使われ始めたといえる。写本の年代がはっきりしているものに「膣」の字が見つかれば、さらに出現年代は遡っていくことができるだろう。

 まとめると、大槻玄沢がオランダ語を「室」と訳したうえで「腟」の字を再利用して「腟(シツ)」とし、宇田川榛斎は「腟(チツ)」と読ませ、最初かはわからないが緒方洪庵が「膣(チツ)」を使用して広めた。とはいえやはり主流は「腟(チツ)」にあった。江戸時代だけでもかなり複雑な歴史を経ていることがわかる。これが明治以降どうなっていったのかを次回で述べることにしよう。

*掲載画像は全て京都大学貴重資料デジタルアーカイブより
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[参考文献]
浅野敏彦 (2019)「西洋医学思想の受け入れと漢字・漢語―『扶氏経験遺訓』を例に―」『近代のなかの漢語』 p.69-97
杉本つとむ (2001)『漢字百珍―日本の異体字入門』
西嶋佑太郎(2020) 「医学用語「腟」「膣」の発生と混用」医譚 (復刊) 112号 p.81-95
府川充男 (2005)『聚珍録 第一編「字体」』

 

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