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体系的に字を造ろうとした海上随鴎

 今回は海上随鴎[うながみずいおう]という蘭学者について取り上げる。これまでの回でも時折登場しているが、海上は前回の野呂天然と並んで、かなり独特な医学用語を使っていた。その用語は、同じ時代の用語からはだいぶかけはなれたもので、海上独自に体系的に造ろうとしたものだった。

 海上随鴎が書いた医学書はいくつか残っているが、未完であるか、一部しか残っていないかで、全貌がわからない。しかも大槻玄沢や野呂天然とは違って、難解な用語をつかっていても、それがどういう意味なのか、どういう意図でつくったのかを示す資料が十分に残っていない。さらに、著作によって同じものでも違う用語を使うことがあった。以前筆者は、海上自身や弟子が書いた医学書から用語を集めてみたところ、1000字以上の字を駆使していることがわかった。その後も未報告や未調査の資料があることがわかったため、これらを整理したうえでまとめて公にできればと思っている。

 海上の用語は、大槻玄沢や野呂天然がなんとかして既存の字の再利用で表現しようと苦心していたのとは対照的に、新たに字を造ることをいとわないスタイルだった。そのため字書をみても載っていないものばかりなのだが、それでも字の造り方は多くの字で共通していた。それは、「神経へん」「静脈へん」「膜がまえ」のように、漢和辞典の部首のような形でカテゴリーをつくって字を造るというものだった。

 具体例を見ていこう。下の表はカテゴリーを表す構成要素とそれを使った字の例を挙げたものだ。まずは辞典でいう部首にあたるところ(表の「構成要素」)をみると、ふつうの辞典にある部首と形が共通しているものもあっても、意味合いが異なっている。「勹」からは「包」そして「膜」が、「竹」からは「管」を連想できなくはない。しかし「白」から「神経」、「行」から「動脈」は何を表すか知らないと類推はまず無理だろうし、「丩」や「䏌」に至っては形自体なじみがないので何を表しているのが初見ではわからないだろう。こういった構成要素とそれが表すカテゴリーの関係は難しいが、理由が推測できるものもある。例えば「歨」(「走」と似ているが異なる)は、腺の回で出てきたように、腺を「ふるい」にたとえるところから、「簁(ふるい)」という字の一部を使ったものと考えられている。

海上随鴎の用語に使われる字とその構成要素の具体例(西嶋(2020)p.9表2を改変)

 カテゴリーと構成要素の関係のところだけでつまずいてしまいそうだが、表を見ていただいたらわかるように、カテゴリーを表す構成要素にもう一つ字(またはその部分)を組み合わせている。「 」(大脳)、「 」(恥骨)は現代の用語から見てもわりと素直な組み合わせ方に見える。「 」(卵管)、「 」(扁桃)は一見わかりにくいが、当時の訳語がそれぞれ喇「叭」管、巴旦「杏」核キリールであることから、訳語のうち一文字を使っていることがわかる。「 」、「 」の場合は「梨」状筋、「肺」静脈の一字のうち更に一部分のみを使っている。

 では海上は、これまでの用語をこねくりまわして一字にまとめていただけなのかというと、そうとも言えない。例えば「恥骨」のオランダ語について、『重訂解体新書』では意味を「恥」や「羞」と解釈して、「羞骨」という用語を使っている。現在でもつかわれる「恥」の字を用語に使ったのは海上が最初期だ。また「腸間膜」(腹腔内で小腸を包み、支えている薄い膜)のオランダ語には「受」けるという意味合いは含まれていない。腸間膜は、小腸から栄養を「受」けとる血管などが走っている部位であり、海上がこうした機能を考えてこの「受」を要素に使った可能性がある。そして、「大脳」をはじめとして脳の部位に関する用語は、オランダ語に「脳」関連の言葉がはいっていなくても、海上が脳の部位と判断すれば「囟」をくっつけて用語にしていた。このように海上はオランダ語を単純に翻訳するのではなく、解剖学の体系を体系的な造字法で表現しようとした、とでもいえるくらいに工夫をしていたようだ。

 上でのべたように、海上のこういった用語の造り方の大原則は、これまでの用語とはかなりかけ離れていた。同じく難解とされる野呂天然がかわいく思えてくるほどだ。しかし実はこれと似たような字の造り方は、清朝末期の博医会という組織が医学用語を翻訳するときに一部で行っていた。時も場所も違うので、おそらく影響はないのではないかと思うが、類例があるということは海上の発想があまりに突飛というものではなかった、ということになるだろうか。

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[参考文献]
笹原宏之 (2007) 『国字の位相と展開』
杉本つとむ (1981) 「稲村三伯(海上随鴎)」『蘭語研究における人的要素に関する研究』 p.723-751
西嶋佑太郎 (2020) 「海上随鴎の造字法」 日本漢字学会報2,  p.1-19

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