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志は千里に在り――曹操「歩出夏門行」

 ディープインパクトの名前は、競馬ファンならずとも知っている。ずいぶん長い間、活躍していたような記憶がのこるけれども、実際には2005年と2006年、たかだか2年に過ぎない。それが競走馬のピークなのだろうか。引退したあとはDNAをのこす仕事を続け、そしてこの夏、世を去った。馬齢はまだ花のセブンティーン。
 現役を退いたディープインパクトのような名馬が「老驥[ろうき]」である。「驥」は駿馬。「櫪[れき]」は飼い葉桶、それから拡げて馬小屋。

 老驥伏櫪   老驥 櫪に伏するも
 志在千里   志は千里に在り

 たとえ名馬であっても、老いた後はもはや厩舎にうずくまるほかない。しかし「志は千里に在り」、その精神はまだ千里を駆け巡る。
 老いの身を静かに養いながら、果てしない草原を疾駆する自分を夢想する名馬。たとえ身体には老いのしるしが刻まれようとも、老醜を感じさせることはない。むしろ凜とした勁[つよ]さ、気高さを帯びているかのようだ。それは今なお雄飛せんとする旺盛な意思を秘めているからか。

 老いた駿馬をうたったこの二句には、次の二句が続く。

 烈士暮年   烈士の暮年
 壮心不已   壮心 已[や]まず

 「烈士」は高い志をいだく男子。駿馬が老いても精神を張り詰めているように、壮士は人生のたそがれに至っても、雄々しい意思が衰えることはない。
 この楽府[がふ]の作者曹操は、いうまでもなく『三国志』の英傑。『三国志演義』など、物語のなかでは奸雄として悪玉の役を押しつけられているが、歴史のうえでは蜀の劉備、呉の孫権などとは比べようもない重要な存在であった。混乱した中国に統一への道を開いた武人として突出していただけではない。文学者としても学者としても、時代を代表する人物に数えられる。曹操を中心とする建安の文人たちによって、中国の詩は新たな段階に入ったのだ。
 建安は後漢最後の年号(196-220)。ラストエンペラー献帝[けんてい]はもはや傀儡[かいらい]に過ぎず、実権は曹操が握っていた。曹操は後漢末に蜂起した群雄たちを次々と打ち破り、群雄の配下にあった文人たちは曹操のもとに集められた。王粲[おうさん]、劉楨[りゅうてい]、応瑒[おうとう]、徐幹[じょかん]、阮瑀[げんう]……、いわゆる「建安の七子[しちし]」と称される人々である。七子の上に、曹操の息子の曹丕[そうひ]、曹植[そうしょく]がいる。のちに魏の初代皇帝となる曹丕はこの文学集団のなかでも中心的存在であった。その弟の曹植は政治的には不遇であったが、唐以前の最も傑出した詩人と称された。まさに文学の黄金時代というべき華やかさだ。
 今見られる曹操の作品は、楽府[がふ]に限られる。楽府とはもともと民間の歌謡であった。「楽府題」はそれが歌われる楽曲の名。それぞれの曲に合わせて作られた替え歌が楽府。民間に流布していた歌謡に文人たちも手を染めるようになり、楽府はやがて詩の一つのジャンルとして定着する。
 ここに取り上げた曹操の歌は、「歩出夏門行[ほしゅつかもんこう]」というのがその楽府題。「行」とは「うた」の意味である。同じ題の古辞(作者不詳の楽府)は、仙界に遊ぶことをうたっている。命に限りあるこの世を脱して、仙人になって永遠の生を得ようというのだ。似た題の「西門行」(古辞)は「人生は百に満たざるに、常に千載の憂いを懐く」、百年も生きられないのに、悲しみばかり続くのが人生、ならばせめて生きている間に存分に楽しもう、とうたう。
 建安文学の貢献の一つは、その後の中国古典詩の主要な詩型となる五言詩(一句が五字からなる詩)を定着させたことであるが、それは先行する楽府、そして作者の名がない「古詩十九首」などの五言詩を継ぐものであった。『文選』に収められた「古詩十九首」では繰り返し人生のはかなさを嘆き、それから逃れるために飲酒や美人といった快楽に走ろうとする。しかし快楽に没入したところで何の解決にもならないことは「古詩十九首」の作者にもわかっている。「古詩十九首」、また楽府「西門行」は、空しいと知りながら快楽に逃避する、虚無と悲観の情感に染められている。
 曹操の「歩出夏門行」は、民間の楽府の形式を受け継ぎながらも、人間の意思によって悲観を乗り越えようとする。老いは生きとし生きるもの、誰しも免れがたい。しかしそれに打ちひしがれることなく、精神を高く掲げることによって自分の生を力強く生きようとする。
 「壮心已まず」の句のあとには、さらに次の四句が続く。

 盈縮之期   盈縮[えいしゅく]の期は
 不但在天   但[ただ]に天に在るのみならず
 養怡之福   養怡[ようい]の福
 可得永年   永年を得べし

 人の命の長短は、天が決めるだけではない。
 心身を養って幸福を得れば、長寿も自分のものとなる。

 人の寿命は天が決定するという考えを否定し、自分の意思によって肉体や精神を養えば、永遠の生も可能になるという。ここには仙界に頼って不老長生を願うこともなく、寿命を天に委ねる宿命論も振り捨て、人間自身が備える力に対する信頼に満ちている。
 人生のはかなさから生まれる抒情詩は、楽府や「古詩十九首」に限らず、古今東西、どこにでも見られることだろう。中国にもそうしたリリシズムは常に底流している。しかし曹操、陶淵明、杜甫、白居易、蘇軾――そういった中国詩史にそびえる山なみを眺めてみると、彼らの詩はペシミスティックな甘い抒情に浸ってはいない。さまざまな困難に抗しながらも、人の力を信じ、生を肯定する力強さにあふれている。中国の文学ならではの魅力がここにある。
 気がつけばいつの間にか自分も高齢者の一人。「老驥」ならぬ「老駄馬」の身ではあっても、曹操に倣って、せめて気持ちだけは千里を目指したい。

(c) Kozo Kawai,2019

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