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石原忍と新国字 (最終回)

 前2回では、眼科医たちが近視の予防などの観点から、文字の簡略化や書字方向などを議論していたというのを見てきた。これらは既存のものを改良するというスタンスだったが、なかには文字そのものを改革してしまおうという試みがあった。近視予防の観点から新しい文字を考案した人物として、石原忍をとりあげよう。

 石原忍(1879-1963)は大正から昭和にかけて東京帝国大学医学部眼科学教授を務めた人物で、石原式色覚異常検査表は色覚異常の検査として今でも使われている。それ以外にも近視やトラコーマなどの研究を行ったことで知られる。医学の業績もめざましいが、一方で生涯にわたって文字の研究に情熱をそそいでいた人物でもある。年齢を重ねるにしたがって石原の考える文字も大きく3段階に進化していったのでそれぞれ見ていこう。
 石原は東京帝国大学教授に就任したころの1923年から、漢字に代わる読みやすい文字の研究を始めたという。前々回の大西克知や前回の小口忠太などの研究の影響だろう。近視予防のために読みやすさを追求するのが根底にあったが、最初から漢字廃止を前提として理想を追い求めていったのが石原の特徴だ。
 まずは既存のカタカナを改良する工夫を行った。仮名文字協会(カナモジカイの前身)の設立者である山下芳太郎などを参考にしていたようだ。タイプライターを自作してそれを使って発表を行い、1928年の眼科学会で「石原式横書きカタカナ文字」を発表した。その際の工夫として挙げられているのは、字体を縦長にすること、なるべく常用の字体に近く、一つ一つが読みやすく、語としたときに語が全体として特徴ある形になることなどがある。一つの単語をひとまとまりとして認識しやすくするために、上下に突出した字になっているのがわかるだろう。

図1.横書きカタカナ文字の例(「ヨコガキカタカナの字体」)

 このカタカナ文字は、東京帝国大学法医学教授の三田定則をローマ字論者からカナモジ論者に変えるほどの反響があったが、石原はこれだけでは満足しなかった。カタカナはもともと縦書きするために作られたもので、工夫しても、横書きのしやすさという点ではローマ字にはかなわない。それにローマ字だけでなくカタカナもつきつめれば純粋の日本人の独創ではなく、それを使うのでは国民の自尊心が許さない。とすると残るのは新国字、つまり新たに文字の体系を作ることしかない、と考えたようだ。
 1933年、新国字の研究の必要性について石原らは衆議院と貴族院に請願書を提出した。衆議院では採択されたが、最終的にはいずれも不採択となった。それでもめげずに新国字の必要性を述べる論考を出したが、ローマ字論者の江口喜一に「新仮名文字創製は見込みのない事」と一蹴されてしまう。これに対して「やれば必ず出来る筈」と反論し、実際の作業にとりかかった。そのとき大いに参考にしたのが、中村壮太郎による新国字「ひので字」だ。

図2.ひので字成り立ち表(『政界革新の先決問題』より)

 ひので字は、ひらがなやカタカナなどを変形させてラテン文字風にあらためたもので、石原も「私共の理想に近いものとして推奨することを憚らない」とコメントを寄せていた。このひので字の方法、つまり音節文字であるかなの特徴は残しつつ、表記自体は他の文字を利用する方法を、石原はそっくりそのまま踏襲した。大学の助手の田野良雄(田野が文字創作に興味をもったとされるが、石原の指示に従っただけで、実際は当初は石原の立場に反対の意見を持っていた)と作業を進め、1939年に「東眼式新仮名文字」を発表した。東眼とは「東」京帝国大学「眼」科学教室のことだ。

図3.東眼式新仮名文字(「東眼式新仮名文字」より)

 ひので字と比べてみるとアイウエオのほか、チ・テ・ヘ・モ・リに該当する文字も一致している。ウ段は子音字で表記をする原則を設けており、それ以外はラテン文字、キリル文字などを使用しながらひらがな、カタカナに似せて作っているのだろうと推測できる。石原はこれが理想形とは思っておらず、今後の方向づけを示すものだと断っていた。ここで筆者は、欧米の文字を借りてくるのは、石原が気にしていた国民の自尊心は許すのだろうかと思ってしまうが、あくまで方向づけと考えれば理解はできる。

 戦後、石原は教授職を引退して伊豆で開業しながら、改めて文字の研究に打ち込んだ。その意欲を高めた一端は、新聞記者の森恭三が極東国際軍事裁判の様子を記した文章(『滞欧六年』所収)だ。日米で裁判の速記録が作られたが、その速度が雲泥の差であったといい、文字を改革する思いを新たにしたようだ。戦後、ローマ字が学校で教育されたことから、ローマ字を石原の文字に組み入れていく方向で変更を行い、千野款二の「現代ガナ」や鳴海要吉の「ワビガナ」といった、ひので字以外の新国字も参考にした。前者はどういうものか不明だが、後者は「エスペラントを基礎に、日本の片仮名を取り入れて、ローマ字の配字法に従いながら、母音、子音、拗音のすべてを一字とした」文字(高橋1993)のようだ。石原の研究は文部省の科学研究助成補助金もでて、1953年に「横書き仮名文字」、1959年に「あたらしい横書きカナ文字」を発表した。

図4.1953年時点の横書き仮名文字(「横がき仮名文字の研究」より)

 個々の文字を「東眼式新仮名文字」と見比べてみると、かなりの文字が入れ替わっていることに気づく。ラテン文字やひので字と共通する要素が増えており、どちらかというと東眼式新仮名文字よりもひので字の改良版のようにも見えてしまう。
 この「あたらしい横書きカナ文字」にいたって賛同者が次々に現れるようになった。この文字の活字製作を三省堂が引き受けて1961年に完成した。また、記者の山本初太郎が石原の意見に賛同して『あたらしい文字』という雑誌(石原式色覚異常検査表の印税を資金としていたという)を創刊した。『あたらしい文字』では山本とゲストとの対談が毎号のように載っているが、石原の文字に賛同する人もいれば、意見の明言を避け続ける人、「興味ありません」と言う人などさまざまだった。当時の反応がどのようなものかうかがえる。
 追い風が吹き始めたようにみえた石原だが、その後まもなく1963年に亡くなった。石原の遺志をそのまま継ぐものは現れず、『あたらしい文字』も終刊となった。とはいえ石原の事業そのものではないものの、石原の文字に対する情熱は周囲の眼科医に影響を与えていたようで、文字の改良を試みる眼科医はわずかだが現れていた。1928年の眼科学会でも発表し、戦後は国語審議会の委員も務めた井上達二は、shの音を「シ」、chの音を「中」とするローマ字の一方式「中心式つづり方」を発表した(例えば「しんまち」は中心式で「シINMA中I」になる)。また順天堂大学眼科学初代教授の佐藤勉は、「ウ」に相当する長音を「L」で表す「大東亜つづり」を発表した。どちらもローマ字のつづり方の一案だが、別の字で代用するやり方は石原の影響かもしれない。

 石原の文字をみた筆者の率直な感想は、それで近視問題が解決できるのか、だった。精神科医の式場隆三郎も『あたらしい文字』のゲストとして対談した際に、根拠となるデータの有無を尋ねているが、聞き手の山本は答えられなかった。後年に石原の文字に賛同した田野良雄も、根拠となる眼科学的な研究はなく、石原の「直観」「経験」に基づくと振り返った。「近視予防」が旗印とはなっているが、そこを突きつめてはいなかったところをみると、漢字廃止の思想が前提となっているところが見え隠れしている。結果的に「やや独善的」だという片塩氏の評価(片塩1994)に筆者は賛同する。
 もうひとつ、年齢を重ねるとともに文字をカタカナやローマ字に似せていったことで、横書きのしやすさや日本人の独創という、石原がもともと抱いていた理想は打ち消されていったようにも思う。ただ後からは何とでもいえるので、生涯を通して創作を試みた石原に敬意を表したい。

 

 ここまで25回にわたって医学をめぐる漢字の不思議を紹介してきた。振り返ると大きく二種類の「不思議」があったように思う。一つは、「楔」の読みや「腟」「膣」の差など、現代の医学用語にまつわる不思議で、この不思議は現代の用語だけを見ていても解決できない。生み出され淘汰されてきた用語たちの歴史的な経緯をたどっていくと、どれもそれなりの事情があることがわかるものだった。もう一つは、現代には残らない、滅びてしまった不思議な用語たちだ。医学用語を表そうとして漢字と格闘した先人たちは、漢字を再利用したり新しく字を造ったりして自分が納得できる用語を模索した。最後の3回は医学用語にとどまらない漢字そのものについて医学者が考察した姿を紹介した。こうした漢字の表現力の可能性と限界をさぐる試みは、単なる物好きと片付けてしまうには惜しく、貴重な営為であると思う。
 ここで紹介したのはほんとうに氷山の一角で、未解決の不思議がまだまだ山のようにある。その不思議をひもとく試みを今後も続けていきたい。

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[参考文献]
相沢長徳(1932)「石原先生と国字問題」『石原先生』石山堂書店p.487-497
石原忍(1925)「横書き片仮名文字に就きて」日本学校衛生13(12)p.74
石原忍(1927)「ヨコガキカタカナノ字体」カナノヒカリ63,p.3
石原忍(1935)「ローマ字国字論に対する私見」学士会月報571,p.1-2
石原忍(1935)「新仮名文字について江口氏にお答する」学士会月報574,p.1
石原忍(1939)「東眼式新仮名文字」国語運動3(8),p.48-50
石原忍(1953)「横がき仮名文字の研究」言語生活23,p.31-35
石原忍(1957)「近視の予防と文字の改革」臨床眼科11(3),p.513-515
一新会(1983)『石原忍先生の生涯』
井上達二(1952)「微形学とローマ字つづり方」ことばの教育:ローマ字教育誌14(1),p.15-23
今井直一(1961)「石原忍博士の「新しいカナ文字」について」印刷界95,p.102
江口喜一(1935)「ローマ字とカナ」学士会月報573,p.8-12
片塩二朗(1994)「石原忍のあたらしい文字の会」印刷雑誌77(10),p.51-58
高橋明雄(1993)『うらぶる人―口語歌人鳴海要吉の生涯』津軽書房
田野良雄(1962)「新国字について」あたらしい文字6(3),p.11-12
田野良雄(1963)「国字改良」眼科5(3),p.224-228
安田敏朗(2016)『漢字廃止の思想史』平凡社
「近視の予防及び治療」『日本眼科全書』第9巻第2冊p.68-74 (1953年)

(c)Yutaro Nishijima

 

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