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中国でも行われた医学用語の造字

 ところ変わって中国の医学用語を少しのぞいてみよう。
 これまでの回で、日本の蘭学者がどうやって漢字に向き合いながら用語をつくってきたかというのを見てきた。蘭学者それぞれの個性というのがけっこうあり、用語にもそれが表れていた。一方中国では、中国人が翻訳に努めるよりも、まず先に、宣教師団体による翻訳がメインに行われた。
 中国に渡ったキリスト教の宣教師のなかでも、医療宣教師という人々が博医会[はくいかい]という団体をつくっていた。これまでみた日本の蘭学者が19世紀前半の話だったのに対し、この団体は名称の変更や他の団体との合流を経ながら、19世紀後半から20世紀にかけて活動していたので、彼らの方が時期的に日本の蘭学の後になる。日本の蘭学者と彼らとは、西洋医学を漢字に落とし込むという共通点があるものの、時期も、場所も、翻訳する人も異なり、個人か団体かという意思決定のプロセスも異なっていた。しかし両者ともに同じような用語にたどりつき、そしてのちに廃れていった。

 曺[そう]氏の研究によると、博医会の医学用語の翻訳活動は、1890年の医学用語委員会の創設で組織化されたが、当初は個人個人で翻訳がすすめられ、1901年から会議を開いて本格的に用語を決定するようになったという。その成果が1908年のAn English-Chinese Lexicon of Medical Terms (以下『医学辞彙』とよぶ)として世にでた。この用語集は、日本にも伝わっていたようで、東京大学の図書館に所蔵されている。中身をみてみると、まずどのように用語を造っていったかが5つにわけて書かれている。

①元の中国の用語を使う
②用語を意訳する
③『康煕字典』にある、既に使われなくなった字を利用する
④用語を音訳する
⑤造字を行う

 なにげない5つの分類だが、要するにあらゆる方法を使って翻訳するということになる。基本的には①元の中国の医学に相当するものに翻訳し、翻訳が難しいものは④発音で示す。逐語訳できるものは②意訳するなどして訳していた。ここまではふつうに考えつく翻訳方法だ。それ以外に③と⑤も行っているのに注目しよう。③は大槻玄沢や野呂天然の方法と一致していて、⑤は海上随鴎の方法と似ている。これまでの回で見たとおり、③も⑤も、結局のところ失敗に終わった方法だった。同じ過ち(と言っては先人に失礼だが)を繰り返したのだろうか。それとも偶然似たような道を歩んだのだろうか。

 ③の例として、「」(静脈)、「衇」(動脈)という字を再利用している。もともと字書に載っている意味は、もちろん静脈や動脈という意味ではないが、無理のない範囲で意味を派生させて、医学用語としての意味をもたせて使っている。実はこの二つは、野呂天然の用語ともぴたりと一致するのだ。しかし、それ以外の用語は意味が近くても一致しないものがほとんどで、例えば、「胜」という字には「動物類」(『医学辞彙』)、「神経」(野呂天然『生象止観』)というようにかなり異なる意味が与えられていた。

 ⑤の例としては、『医学辞彙』の中身の例として掲げた図をみていただくと、真ん中あたりに、手へんの漢字が並んでいることがわかるだろう。「手腕骨因形命名」とあって、その右側に「~~bone」と書かれている。これらは、手根骨(手首にある小さい骨の集まりの総称)の一つ一つの名前なのだ。ここには載っていないが、手の骨は手へん、足の骨は足へん、それ以外の骨は骨へんということになっている。これは意図的にそうしたもので、部首を統一することで覚えやすくするということのようだ。手へんなどをつけてできた字は、字書に同じ形の字が載っているものもあれば、まったく新しい字、つまり造字になっているものもあった。これは、海上随鴎がカテゴリーごとに部首みたいなものを作って字を量産したのに似ている。しかし似ているのは作り方だけで、海上随鴎のように徹底的に行っているわけではなく、できあがったものは別物だった。

『医学辞彙』p.391 難しい字、新しい字を解説している箇所

 こうみると、方法論は似ていても、できあがりが異なっていたことがわかる。博医会のひとたちが、野呂天然や海上随鴎の著作をみて真似をしたというよりも、偶然の一致の要素が大きいのではないかと筆者は思っている。では博医会は日本の用語を見ていなかったかというと、そうではない。『医学辞彙』の①に関する解説には、日本の字書も慎重に見比べることを書いてあって、宇田川榛斎が作った「腺」という字も、ちゃんと今の「腺」の意味で載っている。『医学辞彙』がでる少し前の1903年には『新爾雅』という、日本でできた用語についての解説集ができていて、そこには「腟」の字も使われている。大槻玄沢から始まる「腟」の用法は、その頃には中国に伝わっていたのだろうが、こちらは中国の用語「陰道」が勝って、「腟」は採用されなかった。つまり、博医会でも日本の用語の取捨選択はしていたのだろうと考えられるのだ。そして野呂天然や海上随鴎については、同じ時代ならまだ参考にできる可能性もあったかもしれないが、博医会の活動時期は、日本ではもう明治時代も後半に入っている時期だ。この二人の用語はとっくに忘れ去られていて、辞書にももちろん載っていなかったから、参考にしようがなかったのではないだろうか。

 博医会が難しい字を再利用したり、新しく字を造ったりして表現した用語はやがて廃れた。博医会は宣教師だけでなく、中国人とも協力するようになり、やがて用語翻訳に関する中央の機関として発展解消していく。その過程で中国人側から、造字などに対して反対意見が出たのだ。日本に比べて、こうした討議の結果淘汰された記録が残っている中国の用語に関する動きもかなりおもしろいと思う。

 それ以上に、日本と中国とで、まず漢字一文字で翻訳しようという動きがあって、どちらも失敗したという過程を経ていること、しかも方法は似ているのに、それ以外の要素が重ならず、お互いに影響もそんなに受けていなさそうなところがおもしろい。沈氏がこのことを指摘して、「字」から「語」への過程と呼んでいるが、こういう試行錯誤を経たからこそ、現代の用語につながっているのだろう。字書には、星の数ほど漢字が収録されている。そのどれかなら、もしくは、字書になくとも膨大な数のへんやつくりの組み合わせの中のどれかなら、未知の西洋医学の概念のどれかを表現できるかもしれないという、淡い期待のなせるわざだろうか。

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[参考文献]
沈国威編著 (1995) 『「新爾雅」とその語彙』
沈国威 (2010) 「西方新概念的容受与造新字為訳詞」浙江大学学報(人文社会科学版) 40(1),  p.121-134
曺貞恩 (2020) 『近代中国のプロテスタント医療伝道』

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