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海上随鴎のアイデア造字

 前回、海上随鴎の造字は、神経や膜、動脈などのカテゴリーを表す構成要素を使って、体系的に造ろうとしていたというのをみた。合理的な考え方のようにも思えるが、複雑な概念を一文字にまとめるというところに、どうしても限界があった。骨にしても神経にしても筋肉にしてもかなりの数があるので、一字にまとめようとしても、それぞれを表現しわけるのが難しいからだ。
 今回は、資料が比較的残っている筋肉の名前を例に挙げて、海上随鴎の造字の限界と、造字の体系から外れたアイデア造字の例を見てみよう。

 海上随鴎の用語に入る前に現代の筋肉の名前を見てみると、名前の付け方にもいくつか種類があることがわかる。「大胸筋」「口輪筋」「胸鎖乳突筋(胸骨、鎖骨、乳様突起の間にある)」のように筋肉がある場所で名前を付けているもの、「大菱形筋[だいりょうけいきん]」「三角筋」「僧帽筋」のように筋肉の形を別のものにたとえて名前を付けているもの、「小指伸筋」「肩甲挙筋」のように部位と機能を組み合わせるものなどだ。もちろんこういう名前は、もとのラテン語、オランダ語などから翻訳しているものだ。
 これらを一字で表現するとした場合、場所や形から名前ができているものは、それを表す字を使えばいいのでまだ表現しやすい。しかし、部位と機能を組み合わせるものは、かなり工夫しないと表せない。筋肉の機能として多いのは、腕や指の関節などを伸ばしたり曲げたりすることであり、総称して「伸筋」や「屈筋」と呼ばれる。なので「○○伸筋」「○○屈筋」という名前の筋肉は複数ある。そのため、筋肉の名前を一文字で表すとしたら、伸筋か屈筋かを区別したうえで、どこにあるのかという情報を全部一字で表現することになる。これは至難の業だろう。

表1. 「伸筋」を表す海上随鴎の用語の例

 実際、海上随鴎は、これを解決できなかった。表1の「伸筋」の名前を例に見てみよう。「上腕三頭筋」というのは二の腕の、力こぶを作る方ではない側の筋肉で、肘を伸ばす働きがある。筋肉の片方の端が三つに分かれているので「三頭筋」という名前がついているが、機能的には伸筋に属する。下の二つは足の指を伸ばす筋肉だ。海上随鴎の用語を見ると、筋肉を表す「丩」という構成要素に組み合わせられているのは、「伸」「延」とその一部だ。ということは、この四つの筋肉の名前は、海上随鴎の用語だと「伸筋」ということしか表しておらず、「どこの」伸筋なのか字面からわからない。このあたりが海上随鴎の用語が越えられなかった限界だったのだろう。

 海上随鴎の用語の限界は、これだけでなく、同音異義語が多発するという問題や、そもそも一字ずつ表現するには筋肉そのものの数が多すぎるという問題もあった。海上随鴎もこの限界はさすがに意識していたと思われ、別の著作では筋肉の名前を二字で表すこともしていた。それ以外に、この限界をなんとかすりぬけようと工夫しているアイデア造字もあったのでいくつか紹介する。

表2. 造字法に一工夫がみられる例

 表2の三字が表している筋肉は、一般的な筋肉とくらべて特徴的な形をしており、現代の用語にもそれが表れている。顎二腹筋は、顎の下のところにある筋肉の一つで、真ん中の腱をはさんで筋腹(筋肉の中央の膨らんでいるところ)が二つあることから、この名前がある。上腕二頭筋は力こぶを作る時の筋肉で、先ほど述べた三頭筋と同じように、片側が二つに分かれているのでこの名前がある。この知識をもとに、海上随鴎の造字を見てみると、まず、どれも筋肉を表す構成要素「丩」を含んでいる。ここまではほかの海上随鴎の造字法と同じだ。「 」から「丩」を引いた残りの部分が何を表しているかを考えてみると、「肉」が二つ合体したような形に見える。「肉」が二つで、筋腹が二つであることを表現しようとしたのだろう。「 」「 」の方はもっとわかりやすいだろう。「ム」の数が、「二」頭、「三」頭の数に一致している。おそらく「ム」自体には、意味をもたせていなかったのではなかろうか。これらは、漢字の意味をそのまま使うのではなくて、並べることで意味を持たせる「林」「森」のような作り方をしているところに工夫がある。

 結局のところ、どれだけ工夫をしても一字である以上は、そこに盛り込める情報量は限られているので、限界はあった。とはいえ、成功したか失敗したかに関わらず、これらは新しい概念をなんとか漢字の形に落とし込もうとしたこだわりの結果だったといえる。

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[参考文献]
西嶋佑太郎 (2020) 「海上随鴎の造字法」 日本漢字学会報2, p.1-19

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