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微生物学名と造字

 江戸時代までに医師が漢字を作ってきた例をこの何回かで見てきた。ここでさらに少しマニアックな分野を取り上げてみる。寄生虫、微生物に漢字を作って当てはめた人物が明治から昭和の時代にいた、という話だ。感染症の話題が多い昨今に、微生物学の流入初期におきた漢字の洪水に目を向けてみよう。

 主人公は京都帝国大学初代衛生学講座の教授、松下禎二[まつしたていじ](1875-1932)。松下は鹿児島県の生まれで第五高等学校を卒業後、私費でドイツに留学し、微生物学などを学んだ。1903年に帰国し、京都帝国大学の教授に就任。免疫学や微生物学、衛生学に関して数々の著作を残し、のちに地元から衆議院議員選挙に出馬し当選。医学界から議員への転身に期待を寄せる声もあったが、根回しせずに突然提案をしたり通らなかった法案に固執したりしたために、次第に松下を見る目は冷ややかなものとなっていった。抗癌剤と称して発売した薬(実際の抗癌剤のはじまりは第二次世界大戦後)には効果がみられず、「金儲[もう]けの為の贋薬」との批判も出た。1932年にひっそりと生涯を終えたのだが、訃報に「末路哀れなる松下君」と書かれる始末であった。

 そんなドラマチックな人生を生きた松下は、「日本語の訳語を作る」ということにこだわりを持っていた。時は日露戦争が終わったばかりのことで、西洋に学ぶだけの日本でなく、日本医学の独立の声が上がる情勢だった。そのためには用語も外国語に頼らず日本語にしないと、というのは自然な流れだったのだろう。しかしそれを実行する松下のこだわりは極端に強かった。微生物や寄生虫の学名に片っ端から漢字をあてていったのだ。もちろん現代でもビルハルツ住血吸虫とか、日本海裂頭条虫とか、人間に関わりのある寄生虫、微生物を中心に和名がつけられている。しかし松下は、関わりの薄い生物にまで徹底的に漢字をあてた。しかも属名(上の例なら「吸虫」「条虫」にあたる部分)は漢字2字で表すという制約をなぜか自ら課している。

 当然のことながら、お互いに細かい違いしかない微生物を漢字2字で表現しわけるには、漢字の数のほうが足りない。そこで松下がとった方法は、微生物を表していない別の漢字を再利用すること、それでもいいものが見つからなければ字を造るという方法だった。対象はあくまでも細菌や寄生虫などで、ウイルスは時代的にも含まれなかった。松下がいい感じにウイルスを漢字で表していたら今頃話題になっていたかもしれない。

 例を見てみよう。
 一つ目は、寄生虫の中でもまだ名の知れているマラリア原虫だ。マラリア原虫の属名Plasmodiumを松下は「肉又ハ漿ノ虫ノ義なり」と解釈し「螟(はんめい)」という字を当てた。松下は『寄生物性病論』という著作の中でのみ、しかも一部の学名についてだけ、字をあてるときの思考過程を明らかにしていて、それ以外の著書ではなんの説明もなくこういった字に出くわすことになる。「」は『大漢和辞典』巻9を見ると、集韻(漢字を音で分類整理した韻書のひとつ)をひいて「、肉也」とある。「螟」のほうも大漢和にいくつか熟語が載っているのだが、松下が利用したのは「蟭螟」という「蚊のまつげに巣くう虫」を表す語だ。蚊のまつげに巣くうほど小さいという意味から微生物の学名に転用していて、マラリア以外にも多くの学名に使われている。「」は字義そのもの、「螟」はもと(の熟語)の意味を転用したもの、ということになる。ずいぶんとまどろっこしい。

 二つ目に、Spirochonaという繊毛虫の一種を取り上げる。これに対しては蜁(せんあ)という字があてられた。松下はこの学名の意味を「螺旋状漏斗ノ義ナリ」としている。たしかに図のBのところが螺旋状で漏斗のような形をしている。「蜁」は「蜁蝸」で貝の一種の意味があることから転用したか、螺旋の「旋」の偏をとりかえて使ったかのどちらかだろう。そして「」は松下が造った字だ。どうして造った字ということがわかるのかというと、字書に載っていないからというのもあるが、松下の著書『文字のいろいろ』のなかで「国字」という項目があり、そこに自らが造った字も説明なく一緒に並べているからだ。「」は「じょうごむし」という訓つきで載っている。「」は「漏斗」の意味に該当するのだが、「丫」には漏斗の意味はない。お気づきの方もいるとおもうが、これは漏斗の象形と思われる。松下が象形で文字を作る、あるいは再解釈したのはこれ一例のみだったが、なかなか面白い方法だと思う。

 

(松下禎二『寄生物性病論 補遺』p.429より)

 

 松下はこういった独特な字の使い方(120字ほど。うち造字19字)をしながら、数多くの学名に字を当てていった。大学教授でもあり、一定の影響力があったと思われるのだが、微生物学・寄生虫学の中で採用されることはなかった。緒方洪庵の孫・ひ孫にあたる緒方知三郎と緒方富雄が、当時乱立していた寄生虫の和名について検討した際に、松下の用語も俎上にのせられている。しかし「学名の意味の解釈については暗示を受ける点が少なくない」というように一定の評価はしつつも、不必要に和名を付けていること、実用的でない文字を使っていることを理由に和名として採用することはしなかった。ラテン語の知識と難しい漢字の知識の両方を要求する松下の訳語は、結局「日本語の訳語をつくる」という当初の目的からはずれていってしまった。

 ちなみに松下の作った字の多くはコンピュータで入力可能だ。『文字のいろいろ』で松下が列挙した造字は、『国字の字典』などに拾われて、UnicodeのCJK統合漢字拡張Cに採録された。文字コードにはあるが、使う機会はなかなかないと思うのでここでせめてご紹介しておく。

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[参考文献]
緒方知三郎・緒方富雄 (1928) 「寄生虫(蠕虫類)の和名並に学名の発音転写に関する一提案(附、その実例)」 医事新聞  (1230) p.209-238
飛田良文 (1990)『国字の字典』
松下禎二 (1912)『寄生物性病論 補遺』
松下禎二 (1920)『文字のいろいろ』
XY生 (1932) 「末路哀れなる松下禎二君」日本医事新報 (516) p.24
「学界の変人松下君提出 滑稽埋葬法案埋葬の顛末」日本医事新報 (4) p.4-6 (1921年)
「議会の異彩、医界の珍案 松下案」医海時報 (1391) p.13 (1921年)
「再び松下先生に」日本医事新報 (71) p.1 (1923年)
『関西杏林名家集』 (1911年)

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