当館では、『大漢和辞典』を始めとする漢和辞典を発行する大修館書店が、漢字や漢詩・漢文などに関するさまざまな情報を提供していきます。

読み物

連載記事

文字も独特な安藤昌益

 安藤昌益といえば、江戸時代の思想家で高校日本史の授業で習う人物だ。『自然真営道』の作者であり、「直耕」などをキーワードに農業を基本とした社会を提唱した。昌益は青森県八戸で開業していた医師であって、時は江戸時代のなかでも『解体新書』が世に出る少し前。西洋医学の本格的流入を前にして、これまでの東洋医学から独自の医学を展開した安藤昌益は、実は文字の方面でも独特な考えの持ち主であった。

 『自然真営道』の第一~三巻に「私制字書」というものがある。すごくおおまかに言うと昌益の手による字書なのだが、ふつうの字書ではない。漢字否定・制限を目的とする奇妙なものなのだ。昌益は、階級がなく全員が生産活動に従事する社会をよしとして、支配階級を批判していた。文字や漢字は支配階級により作られたものなので、背後には支配階級の差別意識が潜んでいる、つまり漢字は廃止あるいは制限すべきという論理のようだ。当時定評のあった字書『字彙』すらも字解(文字の成り立ち)を述べていないからという理由で罵倒してしまって、今度は自ら最小限度の字の成り立ちを説き示すことで漢字に潜む支配階級の差別意識を暴いていった。昌益がいう成り立ちにはこじつけのようなものが多いのだが、支配階級の造字論理を、皮肉をこめて批判していると思えば納得できる。そして昌益は自身の思想を表現するために独自の造字や造語を行っていった。しかもその数は歴史的にもみてもかなり多いほうだったようだ。笹原宏之氏が「私制字書」の造字について分析を行っており、「昌益の独自の字源解釈、字体の改造とともに、漢字を恣意的に玩弄するような態度による、漢字の増加の跡を嘲笑した造字であったということもできよう」と考察している。

 そんなちょっとひねくれたところのある昌益は、医学に関しても造字を行っていた。『統道真伝』人倫巻という、昌益の思想のなかでも中期にあたる著作で、人体の臓器を五行説で解説している。まずはどういうものか見ていただこう。

(『安藤昌益全集 第10巻』解説p.30より引用)

 この造字について『安藤昌益全集』の解説文には「五行論の屁理屈の行き過ぎたもの」「ただ珍奇・繁雑」などとずいぶんと悪しざまに書かれている。昌益本人でさえも後期の思想に至るとこの造字を使わなくなってしまったという代物だ。昌益に影響を受けた人々の著作に昌益の造字が継承されることもあったが、上の図の造字は継承されなかったようだ。かなり機械的な造字と安直な読み方に見えるが、どうしてこういうことになってしまったのだろうか。

 この「五象五舎」はいわゆる五臓六腑の説に相当する昌益の内臓観を示したものだ。五臓六腑を陰陽五行説で説明すること自体は、昌益以前から行われていたことでとくに問題はない。昌益は当時「五行」にこだわり「5」という数字にこだわっていたので、六腑ではなくて5つとした。なじみのある「肺」や「胃」などの字は、先ほどの論理と同様、支配階級が作った「誤った」字なので、代わりに自ら作ったというわけだ。昌益の思想のキーワードの一つに「進退」というのがあって、これをそれぞれ「進」→「発」、「退」→「止」と言い換えて、そこに木火土金水の五行を偏として組み合わせてできたのが、これらの字ということになる。
 字の形はそれでいいとして読み方も気になるところだ。「はひふへほ」「さしすせそ」というあまりにも安直な読みはどこから来ているのか。「発」「止」のそれぞれの音読みから「は(つ)」と「し」を取り出して、あとは木火土金水の順番に当てはめたといいたいところだが、そうすると「さ」と「そ」が入れ替わっていて合わない。実は、昌益は一時期徹底的に五行説と「5」の数字にこだわっており、他の著述で五十音にも五行を当てはめていた。たとえば「あ」段は木、「い」段は金、「う」段は水、「え」段は火、「お」段は土とし、さらに「さ」行は木、「は」行は水というように当てはめて、5の倍数(五十音は5×10ということになる)で説明しようとしていた。しかし五十音と五行説の組み合わせで造字の読みを説明しようとしても、やっぱりまるでかみ合わない。『安藤昌益全集』の解説のように、まじめに追及しても仕方がないということなのだろうか。

 さてこの安藤昌益の造字は、まったくの独創なのか、それとも時代の要請を受けたものなのだろうか。昌益は「禽獣草木虫魚性弁」という資料の中で、前々回でとりあげた生薬の一字銘を使っていることが笹原氏によって指摘されている。また前回とりあげた田代三喜(昌益当時の医学の源流に当たる)は、その著作中で造字を行うにあたって部品に五行説にもとづいた変化を加えていた(肺→金など)。すると昌益は五行説にもとづく造字ということにまったく無縁だったわけではなさそうだ。山崎庸男氏は、昌益の医学思想についても当時の医学界の背景を分析することで、昌益も「時代の人」であった分析している。
 時代背景から得られたこだわりをとことんつきつめ、そのこだわりを造字造語というかたちでとことん反映させた、昌益の執念めいたものが感じられる。

 

—-

[参考文献]
『安藤昌益全集』 第2巻 1984年 (『自然真営道』私制字書巻)
『安藤昌益全集』 第5巻 1984年 (『自然真営道』私制韻鏡巻)
『安藤昌益全集』 第10巻 1985年 (『統道真伝』人倫巻)
『安藤昌益全集』 第16巻下 1986年 (『禽獣草木虫魚性弁』)
石渡博明 (2007) 『安藤昌益の世界 独創的思想はいかに生れたか』
笹原宏之 (2007) 「安藤昌益の個人文字―『私制字書』における国字―」『国字の位相と展開』 p.274-316
山崎庸男 (1984) 「十八世紀後半の医学界と安藤昌益」 史学雑誌93(1), p.1-36

  • facebookでシェア
  • twitterでシェア

おすすめ記事

写真でたどる『大漢和辞典』編纂史

写真でたどる『大漢和辞典』編纂史

写真でたどる『大漢和辞典』編纂史

『漢文教室』クラシックス