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田代三喜の奇妙な生薬名

 前回生薬を一字に表す方法を紹介した。その始まりは戦国時代ころの曲直瀬道三のあたりから始まったということであったが、その曲直瀬道三の師である田代三喜[たしろさんき]は、生薬をちょっと変わった字で表現していた。生薬の一字銘は秘匿性、経済性から記号的にと変遷したということを前回おおまかに確認したが、田代三喜はその最初期にあたり、それでいくと秘匿性も強いものになっているはずだ。

 田代三喜は室町時代から戦国時代にかけての医師で、漢方医学の中でも後世派の祖とされる人物だ。明にわたって当時の医学を学び、日本に戻って曲直瀬道三に影響を与えた。
その造字は一字銘よりはるかに複雑なので、まずは実例をみてもらおう。

桜井(1997) p.152 より引用

 どうだろうか、見たところ秘匿性は抜群だ。この造字だけをみて何の生薬かわかる人はまずいないだろう。表内の造字の字形は厳密ではないので大雑把にみてほしいのだが、よく見ると造字だけではなく「国」「緩」「児」など見たことのある字もある。そして造字の構成要素もある程度限られたものを使っていることがわかる。「木」「牛」「竹」「甫」「刂」「冂」「几」などだ。どうやらまったくでたらめに組み合わせているのではなさそうだ。

 この字が田代三喜の著書『三帰廻翁医書[さんきかいおういしょ]』に当然のように使われているのだが、そのなかでも「薬之部」と仮称される部分で、表のように生薬との対照が可能になっている。ただどうしてこんな字なのかはそれだけではわからない。その謎を解くには、『百一味作字[ひゃくいちみさくじ]』という書物が必要となる。森鴎外の作品「伊沢蘭軒」で「其書ありといへども百味作字の一巻無[なき]とは薬名考べからず」と書かれているこの『百一味作字』には、造字と生薬の対照だけでなく、各造字の構成要素が何を指しているのかを教えてくれる。「薬之部」と『百一味作字』の内容を足し合わせると、『三帰廻翁医書』で田代三喜が述べた各生薬の薬効になっているというわけだ。すべてそろうことで造字を取り巻く世界がすっきり見えてくる。
 具体例として鈴木達彦氏の著述中の例を引用する。生薬の一種である陳皮(みかんの皮)の造字(下記)は、

(『百一味作字』京都大学貴重資料デジタルアーカイブより)

 『百一味作字』に「亻ハ気也。昔ハ散也。刂ハ痢也。二火ハ痰也。声ハ聲也」と記されていて、「陳皮は気の乱れからくる下痢を治し、痰を除いて声の出をよくする」と認識され作字をされたことがわかる。(鈴木(2015)p.84から引用)

 ということになる。田代三喜の研究をしている研究者からは、薬名と薬効を結びつけることができる、医学体系上重要な意味合いを持たせているという評価をされているのだが、どうだろうか。情報伝達という点から見ると、すべて理解している人にとってはそういう面もあろうが、習得の難しさや筆写の非効率性から見ると、秘儀的と思われてもしかたがないようにみえてくる。

 文字の作り方に目を向けてみる。おおよその造字法は、3段階あって①生薬の薬効を表すキーワードを準備し、②キーワードを表す漢字の全部あるいは一部を部品にし、③それを組み合わせて二字にする、というようになる。

 ①もかなり恣意的とは思うがここでは割愛して、②③を見てみる。②キーワードとその対となる構成要素は、数えてみると80近くあった。汗=「干」、潤=「壬」、補=「甫」など偏旁の省略を行っているものが多い。しかし一対一になっていないところがあり、胃=「土」または「田」、頭=「豆」または「ス」というようにキーワードに対する構成要素が二種類あったり、「中」=中風または中焦というように構成要素に対するキーワードが二種類あったりする。このように部品化は、ちょっと一筋縄ではいかないところがある。ちなみに肺を「金」、胃や脾を「土」とするのは陰陽五行説によるものだ。
 ③構成要素を組み合わせて二字にするのはさらに厄介だ。全体として漢字にありそうな組み合わせ方をしているのだが、同じ構成要素でも同じ組み合わせ方にならないところがある。黄柏[おうばく]、訶子[かし]、罌粟[おうぞく]のそれぞれ一字目に注目してみよう。

(『百一味作字』京都大学貴重資料デジタルアーカイブより)

 これをみるとどれも「赤」「白」「刂」を使っており、意図するところも同じなのに組み合わせが違う。違う生薬なので違う字にするというこだわりがあったといえばそれまでだが、これを覚えるのは至難の業だろう。構成要素の組み合わせ方には確固たるルールがあるわけでもないようだ。

 こうやってみると、造字の原理がわかってきてもなお、難しい、体系的でないという印象をぬぐえない。薬効によって生薬を表現するという方法は画期的であったのだろうが、生薬から造字を連想することはかなり難しく、習得は困難だったのではないだろうか。
 とはいえ漢方医学のなかでは祖とされる人物だ。この造字の後世への影響を考えてみると、生薬を別の字で表現すること、偏や旁を省略したものを組み合わせる方法をとったこと、構成要素に陰陽五行説の影響があること、あたりがあるのではなかろうか。
 田代三喜の造字のその後がわかるものに、『三喜一流』という1653年の記載のある備忘録のような写本があることが報告されていて、ある程度医療現場で使われていた可能性が示唆されている。しかしそのころ前回みた一字銘を載せた『衆方規矩』がベストセラーになり、使われるとしたら田代三喜のではなくそちらの一字銘ということになっていったものと思われる。

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[参考文献]
桜井謙介 (1997) 「三帰と道三 曲直瀬流医学の形成」『歴史の中の病と医学』 p.147-168
佐藤貴裕 (2006) 「医家・田代三喜の造字-付、京都大学富士川文庫本『百一味作字』影印-」『国語文字史の研究九』 p.132-161
佐藤貴裕 (2008) 「田代三喜作字資料『三帰一流』影印」岐阜大学国語国文学 (34), p.25-47
鈴木達彦 (2015) 「曲直瀬道三の医学の再検討」『曲直瀬道三と近世日本医療社会』 p.68-96

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