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安くんぞ得ん 赤脚 層冰を踏むを          ――杜甫「早秋 熱きに苦しみ 堆案相い仍る」

 暮らしていくために必要な条件は、「衣食住」とまとめられる。着る・食べる・住むである。中国ではもう一つ、交通手段を加えて「衣食住行」という。この三つ、ないし四つは、生活に欠かせない基本であるとともに、生活レベルをあらわすこともある。「行」が生活レベルを示す典型的な例は、唐代の伝奇小説「杜子春」に見える。ご承知のとおり、不思議な老人から大金を与えられた杜子春は、その金を蕩尽して無一文にまで成り下がる。金をもらっては使い果たすことを性懲りもなく繰り返すのだが、金持ちから貧乏への転落が、「馬を去りて驢[ろ]、驢を去りて徒[と]」、すなわち馬→ロバ→徒歩という移動手段の変化によってあらわされる。今だったら、ベンツが軽自動車になり、軽自動車が自転車になり、といったところか。我が芥川龍之介の「杜子春」にも乗り物の変化が書き込まれているか確かめてみたら――なかった。
 衣食住行の四つのうちで、生物として生きて行く上でどうしても欠かせないものといえば、衣と食にしぼられる。「飢寒」とか「寒餒[かんだい]」(餒は飢えの意味)とかいう語があることからも、寒さを防ぐこと、食べ物を得ること、その二つこそ生存のための必須条件であることがわかる。
 中唐の賈島[かとう]といえば、推敲[すいこう]の故事で知られる。「僧は推す月下の門」か「僧は敲[たた]く月下の門」か、考えあぐねているうちに韓愈にぶつかった。韓愈から「敲く」がよいと教えられた、という話。そんな苦吟ばかりしていたせいか、賈島の暮らし向きは楽ではなかったらしい。「鬢辺[びんへん]糸有りと雖も、寒衣を織るに堪えず」(「客喜」)――髪に糸が混じるが、糸は糸でもそれは白髪、冬の衣を織る糸の役には立たない。暖かな服を用意できない貧しさを自嘲をまじえて語る。
 韓愈の友人、孟郊[もうこう]の貧窮はさらにひどいものだったようで、その詩句もすごみを増す。寒さに耐えきれず、いっそ蛾になって灯火に飛び込みたい、たとえ火に焼かれて死んでも一時の暖が得られる、とさえ言う(「寒地百姓吟」)。もはやユーモアを超えた、自虐の激烈な叫びである。
 寒さをかこつこうした詩句は、おおむね貧しさを強調することに傾き、寒さの実感が具体的にうたわれることは少ない。
 それに対して、暑さの詩のほうは貧窮とは結びつかず、耐えきれない酷熱の体感が生々しくうたわれる。扇風機もエアコンもなかった時代、夏の猛暑は耐えがたいものだったことだろう、やっと秋の涼気が生じたと喜ぶ詩には、しばしば出会う。
 杜甫にも焦熱に苦しむ詩がいくつもあるが、そのなかで華州(陜西省)の司功参軍[しこうさんぐん]として勤めていた時の作、「早秋 熱きに苦しみ 堆案[たいあん]相い仍[よ]る」と題する詩を見よう。ここでは秋になっても暑気は居座ったままだ。

 七月六日苦炎蒸  七月六日 炎蒸に苦しみ
 對食暫飡還不能  食に対し暫く飡[く]らうも還た能わず
 毎愁夜中自足蝎  毎[つね]に愁う 夜中 自[おの]ずから蝎[さそり]足るを
 况乃秋後轉多蠅  况んや乃ち秋後[しゅうご] 転[うた]た蝿多きを
 束帶發狂欲大叫  束帯 狂を発して大いに叫ばんと欲す
 簿書何急來相仍  簿書 何の急ありて来たりて相い仍[よ]るや
 南望青松架短壑  南のかた青松を望めば短壑[たんがく]に架かる
 安得赤脚踏層冰  安[いず]くんぞ得ん 赤脚[せっきゃく] 層冰を踏むを

 前回の詩、「春水生ず」にも「二月六の夜 春水生ず」と、わざわざ日付を記していたが、この詩も「七月六日」と書き出されるのは、すでに旧暦七月、秋に入ったというのにまだ蒸し暑さが続く不満を言いたいのだろう。あまりの暑さに食欲も湧かない。箸を進めてみてもすぐやめてしまう。
 夜にはサソリがいくらでも出てくるし、おまけに秋になったらかえってハエも増えた。
 窮屈で暑苦しい官服をまとっては、気が狂って大声で叫び出したくなる。こんな時に限ってどうして書類が山のように積み重なるのか。
 遠くの山を眺めれば青々とした松が低い谷に枝を架けている。その下の厚い氷を裸足で踏んでみたいものだ。
 暑さに加えて、毒虫・害虫にもさいなまれ、公務も繁忙を極める。ぼやきを重ねた最後に、涼やかな松の緑に目をなごめ、冷たい氷を踏む感触を想像して、わずかに慰めを得る。「赤脚」は今の中国語では裸足を意味する、ごくふつうの語だが、昔の詩文のなかで使われるのは珍しい。素足で氷を踏んでみたいという想像力も新鮮だ。杜甫の詩は従来見られない、しかし我々にはすぐ共感できる清新な感性に富む。

 この詩はうんざりする残暑をそのまま書くに留まるが、同じく華州での作、「夏日の嘆き」は、夏の日中の暑さをうたって、灼熱の太陽が地上のあらゆる物を焼き尽くし、農地は焦土と化し、鳥や魚すら死に絶える云々と、時世ともからめて象徴的に描く。さらにその続篇にあたる「夏夜の嘆き」は酷暑の実感に加えて、杜甫独特の哲学を開陳する。全二十四句の前半十二句を見よう。

 永日不可暮  永日 暮る可からず
 炎蒸毒我腸  炎蒸 我が腸を毒す
 安得萬里風  安[いず]くんぞ得ん 万里の風の
 飄颻吹我裳  飄颻[ひょうよう]として我が裳[もすそ]を吹くを
 昊天出華月  昊天[こうてん](夏空)華月出[い]で
 茂林延疏光  茂林 疎光延[の]ぶ
 仲夏苦夜短  仲夏 夜の短きに苦しみ
 開軒納微凉  軒[まど]を開けて微凉を納[い]る
 虛明見纖毫  虚明 纎毫[せんごう]を見
 羽蟲亦飛揚  羽虫 亦た飛揚す
 物情無巨細  物情 巨細無く
 自適固其常  自適 固[もと]より其の常なり

 せめて日が落ちれば暑さもましになると思ったのに、夏の日足は長く、なかなか暮れようとしない。蒸されるような暑さで、わたしは腹のなかまで毒気に当てられた。
 遠くから風が吹き寄せて、なんとかわが裳裾をひらつかせてくれないものか。日が暮れても暑さは弱まる気配もなく、炎熱を吹き払ってくれる風も期待できそうにない。


 夏の夜空に明るい月が出て、こんもり茂った林から漏れた月明かりが光の筋を延ばす。「茂林 疎光延ぶ」、あるいは「茂林 疎光を延[ひ]く」の句は、たとえば鈴木虎雄注では「茂った林はその(月の)散らばる光をうけいれる」と訳すが、その解釈は理解しにくい。葉が密生した夏の樹林、そこから漏れた月の光が、木[こ]の下闇に光の筋をまばらに幾筋か投げ下ろしている光景ではないかと思う。
 短い真夏の夜、暑苦しさに眠れないまま、窓を開けると、わずかな涼気が窓から入って来る。ふつう、詩のなかでは秋の夜長を嘆く句が多い。寝付かれないまま、いつまでも明けない一人寝の夜を怨む閨怨詩[けいえんし]のように。秋の夜は実際に長いが、不眠の人にとってはいっそう長く感じられる。ここで「仲夏 夜の短きに苦しみ」というのは、反対に夏の夜が短すぎるのが辛い。眠れないことは同じでも、夜の間は暑さが幾分かまし、しかし眠る間[ま]もなくすぐ明けてしまいそうだ、という嘆きか。
 月明かりの透き通った光のなかは、毛筋までもが見分けられ、そのなかに虫が飛び交っている。「虚明」は清澄な月光が充満した空間だろう。透明な光のなかでは何もかもが鮮明に像を結び、浮遊する虫がくっきりと浮かび上がる。月光のなかに飛び交う虫たちの動きは自在そのもの、そんな小さな物に至るまで、外物は大小関わりなく、自分たちにふさわしく思うままに振る舞っている。それが本来のありかたなのだ。

 暑さにうだるぼやきだけで終わらないのが、杜甫の非凡なところである。周囲に対して透徹した目を向け、目に映る光景から世界の全体へと思索を拡げる。暑さにもかかわらず、活発に飛び回る虫は、彼ら本来の生き方のままに生きている。外界の事物はすべてが「物」として持ち前を存分に発揮している。
 物の背後にある世界の本来の姿を語ったあと、ここでは割愛した詩の後半十二句は、戦場の兵士たちの苦労に叙述が移る。人間だけが「自適」の生き方ができない不条理を嗟嘆するという、杜甫らしい詩に収束して長い詩が結ばれる。

 これを書いている今日の浜松は、41.1℃の日本歴代タイ記録とか。酷熱の真昼には蟬さえ鳴くのをやめてしまい、不気味なほどの静寂があたりを支配する。夕方が近づき、室温はやや下がったとはいえ、まだ37℃。そんな熱気のなかにいると、杜甫が「万里の風」を切望した気持ちが実によくわかる。天然の涼風ほど心地のよいものはない。暑さに閉口する詩句はそのまま我々にも実感できるものだが、そこから万物のありかた、人間世界のゆがみへと繋げていく杜甫の思考には感服するほかない。感性の鋭さ、美しさに加えて、スケールの大きさ、精神の強靭さこそ、この詩人を特徴づけている。

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