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苛政は虎よりも猛なり

 中国の古典世界の虎は、獰猛な恐ろしい野生動物を代表する存在としてしばしば登場します。例えば『礼記』檀弓下に見える以下の孔子の故事も、虎を恐ろしいものとして取り上げています。
 あるとき、孔子が泰山(現在の山東省泰安市にある山)のあたりを通ったときのこと、女性が墓のそばで声をあげて泣いており、その様子はひどく悲しげでした。孔子はその声に耳を傾けていましたが、弟子の子路に命じて彼女に声をかけさせました。女性は「かつて義理の父が虎に殺されました。夫も虎に殺されました。いま我が子も虎に殺されたのです」と身の上を語ります。孔子が「それならあなたはどうしてこの地を去らないのです」と尋ねさせると、女性は「この地には過酷な政治がないためです」と応じました。
 女性とその家族は、いかに虎が恐ろしくとも、虎に殺される危険がある場所に住んだ方がましだと思うほどに、横暴な政治を恐れていたのです。孔子はこの哀れな女性とその家族を襲ったできごとを知って、「弟子たちよ、覚えておきなさい、過酷な政治というものは虎よりも人を損なうのだ」と教えたのでした。
 このように中国の古典の中で、虎は人を殺す、身近な恐怖として登場してきています。これは孔子の時代に限りません。中島敦「山月記」にも人を襲う虎が出てきますが、「山月記」はその原話を遡ると唐代『宣室志』の李徴の物語(『太平広記』巻四二七「虎」所収)にたどり着きます。唐代においても人食い虎がリアリティのある恐ろしい存在として物語の中に登場してくるわけです。

 では、実際に中国に虎はいたのでしょうか。上田信『トラが語る中国史 エコロジカル・ヒストリーの可能性』(山川出版社、2002年)は、著者が虎の霊に取り憑かれ、虎の視点で中国の環境の歴史を論じるという体裁を取った、大変読みやすく、興味深い本です。この本によれば、中国の常緑広葉樹の林の中に広く生息していたのはアモイトラという亜種で、現在、野生では絶滅したと考えられています。常緑広葉樹林は、秦嶺・淮河線と呼ばれる秦嶺山脈から淮河にかけてのライン以南、つまり中国の東南部の山間地域に広がっており、その地域にアモイトラは生息していました。このほか、チベット高原にはベンガルトラ、中国の東北地域にはシベリアトラがいます。
 WWF Japanのwebページ「これを読めばトラ博士?!絶滅危惧種トラの生態や亜種数は?」には「100年前のトラの生息域(推定)」の地図が掲載されています。この地図を見ると、100年前には中国の東北部から東南部にかけて、虎がかなり広域に分布していたことがわかります。
 第二回で読んだ「虎の威を借る狐」は楚の国で語られた例え話でした。楚は中国の南方、長江流域やその南の地ですから、例え話を聞いた人々は、アモイトラが常緑の広葉樹林の中を狐とともに歩く様子を想像していたということになります。「山月記」や「李徴」では、袁傪が虎になった李徴に出会った場所を商於[しょうお]に設定しています。商於は現在の河南省の南の端に近いあたりですから、ここにも恐らくアモイトラがいて、人々を襲っていたわけです。冒頭で引いた孔子の故事は泰山でのできごととなっており、泰山のある山東省は秦嶺・淮河線以北ですから、渦中の虎はシベリアトラだと思われます。このように、東南部や東北地域に住んだり、往来したりしている当時の人々にとって、虎は実際に身近な危険、身近な恐怖であり、それが故事などに反映されているのでしょう。〈参考:【写真特集】6亜種のみの残存が確認された絶滅危機のトラ APF通信〉
 身近な脅威とはいえ、虎による被害は増減があっただろうと想像されます。急にとある集落ばかりが虎に襲われるようになる、などということもあり得たでしょう。そうなると「私たちばかりひどい目を見るのは何か理由があるのではないか」と考えたくなります。その謎に対する仮説の一つなのでしょうか、「虎が人を襲うのはノルマを達成するため」という設定の物語がいくつも残っています。
 例えば『述異記』の記事には黄苗という男が、神様に願いを叶えてもらったのに、きちんとお礼をしなかったため、罰を受けるお話が見えます(『太平広記』巻二九六「神」所収)。黄苗は林の中に連れていかれ、縛られて毎日生肉を食わされました。すると次第に全身に毛が生えてきて、十日ほどで全身が毛におおわれ、爪や牙も生えてきたところで、解放されます。彼に与えられた罰は、虎にされることだけではありませんでした。三年間に三十人の人を食らうノルマを課されていたのです。しかも誰を食らってもいい、というわけではなかったようで、二十九人までは三年以内に食い終わったのですが、三十人目のターゲットが良家の子女だったためなかなか外出してくれず、その一人にてこずって、結局五年かかってしまいました。それでも、三十人目を無事に(?)襲って、黄苗はノルマを果たし、神様のもとに連れていかれ、罪を許されます。そして十五日の間、塩を食わされると、虎の毛や牙や爪が抜け落ち、人間の髪や歯や爪が生えてきて、元の姿に戻ることができたのでした。
 この話は六朝・宋の元嘉年間(四二四年から四五三年)のできごととされ、舞台は現在の江西省内に位置する南康ですので、アモイトラの生息地域にあたります。突っ込みどころ満載の面白いお話なのですが、このお話は、「なぜ急に虎の被害が始まり、急に止んだのだろう」「なぜあの人が虎に襲われなければならなかったのだろう」などの疑問に対し、ある意味「合理的な答え」を示してくれているようにも感じます。人々の「合理的な答え」への希求に応えるかのような、人を喰らうノルマを課された虎の物語の存在は、当時の人々にとっていかに虎が脅威であったのかを物語るのかもしれません。

 


原文

孔子過泰山側。有婦人哭於墓者而哀。夫子式而聴之、使子貢問之曰、「子之哭也、壹似重有憂者。」而曰、「然。昔者、吾舅死於虎、吾夫又死焉、今、吾子又死焉。」夫子曰、「何為不去也。」曰、「無苛政。」夫子曰、「小子識之、苛政猛於虎也。」

書き下し文
孔子泰山の側らを過ぐ。婦人墓に哭する者有りて哀しげなり。夫子式して之を聴き、子路をして之に問はしめて曰はく、「子の哭するや、壱に重ねて憂ひ有る者に似たり。」と。而ち曰はく、「然り。昔、吾が舅虎に死し、吾が夫又死し、今、吾が子又死せり。」と。夫子曰はく、「何為れぞ去らざるや。」と。曰はく、「苛政無ければなり。」と。夫子曰はく、「小子之を識せ、苛政は虎よりも猛なり。」と。

 

(c)Asako,Takashiba 2022

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