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医学用語の難しさと同音による書き換え(2)

 前回は、医学用語は難しいがそれは医療関係者も難しいと思っているということを述べた。
 今回はそうした難しい用語をどのように簡単にしようとしてきたのか、その一端として漢字の書き換えと用語の簡略化についてみていきたい。

 漢字の書き換えというと1956年の国語審議会「同音の漢字による書きかえ」という文書がある。「当用漢字の使用を円滑にするため」、当用漢字以外で書かれている熟語を書くときに「表中同音の別の漢字に書きかえる」ことを目的としている。例えば「暗誦」→「暗唱」、「叡智」→「英知」のようなものだ。
 この文書の意義についてはいろいろな意見があるが、ここでは凡例として各種専門用語集が挙げられていることに注目したい。文部省の『学術用語集 物理学編』『同 建築学編』などの専門用語集とならんで、日本医学会医学用語整理委員会『医学用語集』も挙げられているのだ。「洗滌」→「洗浄」、「骨骼」→「骨格」、「蛔虫」→「回虫」などに(医)という注記がついていて、『医学用語集』が参考にされたことがわかる。
 1956年の文書で専門用語集が参考にされているということは、この文書よりも前に専門分野では書き換えをおこなってきたということだ。『医学用語集』の出版は1944年なので、医学分野での議論は戦前までさかのぼる。

 日本語の表記についての問題、いわゆる国語国字問題は戦前からさかんに議論されていた。これは医学分野でも同様で、漢字制限論者、ローマ字論者、カナモジ論者、エスペランティストなど様々な意見を持つ医者がいて、その信条に基づいた医学書も出版されていた(例:櫻根孝之進(1913)『Hifubyôgaku』)。
 そうした議論の場になっていたのが、昭和初期から終戦ころまで存在した国語愛護同盟やそれを引き継ぐ国語協会といった、国語国字問題を議論する団体の医学部会であった。毎月のように会合を開き、おそらく現在よりかははるかに活発な議論がなされ、その様子は医学系の雑誌にも紹介されていた。

 国語愛護同盟医学部会が用語に関して定めた方針(1934年)を見てみると、

  1. 用語は耳に入り易く、かつ口に言い易いものを選ぶこと。
  2. 漢語は差支なき限り、訓読みのことばにすること。
  3. 複雑な漢字は差支なき限り、簡易な文字に代え、已むを得ない場合は、「フリガナ」を施すこと。(以下(19)まで続く。)

 

 3ですでに簡易な文字に書き換えることが方針として定められている。例として「静脈竇」→「静脈洞[じょうみゃくどう]」、「祛痰剤」→「去痰剤[きょたんざい]」が挙げられる。
 国語愛護同盟の動きとは別に、解剖学会のほうでも用語の漢字の簡略化の動きがあり、「薦骨」→「仙骨」、「臗骨」→「寛骨」、「繊維」→「線維」といった書き換えが進められた。これまで挙げた例では「竇」→「洞」のように意味の近いものを選んでいたり、「臗」→「寛」のように偏旁をなくしたりすることで、ある程度無理のないように簡略化を進めているが、「薦」→「仙」という書き換えは「せん」という読みだけをみて、より画数の少ないなじみのある漢字といった理由で「仙」が選ばれており、意味が無視された思い切った簡略化だった。
 こうした議論の末、最終的に公表されたのが医学用語整理委員会の『医学用語集』だ。『医学用語集』の凡例では、「特に列記したいことは、従来ひろく用いられてゐた字についての改変である」とし、例として「繃帯」→「包帯」、「繊維」→「線維」などを挙げる。「本委員会の一つの思ひ切つた試みとみていただきたい」としているが、その後この書き換えが定着し現在に至っている。

 ここまできて「線維」という書き方に違和感のある人も多いだろう。医学分野では繊維のことを「線維」と書く。書き換えても語の意味に違いがないのは「包帯」などの書き換えと同様だ。包帯や骨格と違って書き換えが一般になじまなかったのはどういう理由だろうか。繊維自体が、他の産業や一般生活でも普通に使われる語彙だったというのと、もしかしたら「同音の漢字による書きかえ」に取り上げられなかったのも一因なのではないかと筆者は推測している。
 書き換え一つとっても、医学分野とそれ以外で差が生じるということがありうるのだ。

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『医学用語集 第一次選定』(1944年)
『国語の愛護』1(1) (1934年)
澤井直、坂井建雄(2010)「昭和初期解剖学用語の改良と国語運動」『日本医史学雑誌』56(1) pp.39-52

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