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説文入門―段玉裁の「説文解字注」を読むために

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説文入門

 「説文(せつもん)」正しくは「説文解字(せつもんかいじ)」。この書名が示しているように文字説解した書物である。著者は後漢の許慎(きょしん)、西暦100年ごろに成った中国最古の字書である。とり上げられている文字は、秦代の小篆(しょうてん)を主として9000字余り。540の部首に分類し、漢字の成立と用法について分類した六書(りくしょ)によって各字の本質的意味を解き明かす。成立から2000年近く経ち、研究が進んだ今日からみても、その解説はおおむね正しく、権威をもった基本的な字書として重んじられている。

 宋代の初めにすぐれたテキストが出来上がり、清代に入ると研究が盛んになって多くの注釈書が生まれた。その中で精緻さ奥行きの深さで群を抜いていたのが、段玉裁(だんぎょくさい)の「説文解字注」である。それは「説文」の注釈という域を超えて、中国文字学の基本的な書物といえるものであった。段玉裁が42歳のときに着手し、73歳のときに成稿、81歳のときに版が完成したが、その年に亡くなる。まさに畢生の大作である。
 本書はその「説文解字注」いわゆる「段注説文解字」を理解するための入門書である。 

 大修館書店は『大漢和辞典』全13巻<*>を出し終えたあと、学習用小辞典『新漢和辞典』<**>を発行した。私は臨時社員の身分でその校正などに携わった。『大漢和辞典』をはじめとする厖大な資料が整えられており、漢文も中国語もなにも知らなかったが、時々それに当たって調べる必要があった。そこには、説文にはこうあるとか、説文の注ではこう言っているとか、「説文」という言葉がやたらと出ていた。
 「説文」――セツモン、うつくしいひびきだ。なにも知らない私はそれをセツブンと思いこんでいて、口に出したところを即座に訂正されたのをおぼえている。

 それから20年ほどたった1980年ごろ、お茶の水女子大学の関係者から、「説文」について解説したものがあるから『漢文教室』(大修館書店の高校用漢文教科書の連絡機関誌)に連載しないかという話があった。
 それは頼惟勤(らい つとむ)先生(1922-1999)が中心の説文会という研究会があって、そこでの成果を記録したものであった。そのころは多少は「説文」の概要は知っていたので、ぜひにと連載をおねがいした。本書の「はじめに」(はしがき)によると、連載をはじめる10年前(1970年)に原稿は出来ていたようで、それにさらに手を加えたものであった。
 内容は「第一章 許慎の『説文解字』」「第二章 段玉裁の『説文解字注』」「第三章 段注の実際」「第四章 段玉裁の古音十七部説」に大別され、だいたいは研究会の現場を反映した問答形式で記述されている。ただし「第三章 段注の実際」には、段注を会読するくだりがあり、そこでは「講述者」「発問者」「発難者」「判者」などが出現し、あたかも昔の漢学塾を覗き見るおもむきがある。

 『漢文教室』の掲載は8回2年に及び、1981年10月に終わった。連載中から読者の反響があり、この小さな雑誌だけで終わらせるのはもったいないと思っていたので、単行本として刊行することをおねがいした。快諾を得て『漢文教室』掲載分にさらに補足し、訂正を加えて成ったのが本書である。物がものだけに、読者の理解を助けるために、諸書の写真資料を相当量掲載しなければならなかった。それらもすべて説文会側、頼先生が用意してくださった。
 揃った原稿をいただいてから上梓するまで、相当の日時を要した。その間、幾度も頼先生のもとを訪れた。あるとき先生は、いまコンピューターに夢中になっている、と言い出された。天体を計算している、天体の運行を調べているとかで、いろいろなことを話してくださった。今のようなスマートなノートパソコンなどの普及していない時代である。数学が得意で、大学もその方向へ進みたかったということは聞き知っていたが、このときのご様子は実にいきいきとしていた。
 またあるとき、大学の卒業式の日に行き合わせたことがあった。もうすぐ終わって、ぞろぞろ出てきて写真を撮ったりするから、ぜひ見ていきなさい、とてもきれいだから、とすすめられた。先生の意外な一面を見せられた思いだったが、思い直せば頼山陽のご子孫である。山陽の華麗な交際が頭に浮かんだ。

 本書が発売されると案外な売れゆきであった。神保町の東方書店では、月間売り上げが1位になったりした。どうしてこんなに売れるんでしょうね、と先生に言うと、装丁がよかったからじゃないですか、――どこまでもみずからは誇らない先生である。
 本書の編集が一段落したころ、「説文解字注」全巻の訳注をもちかけたことがあった。もしやるとすればと、指を折って2、3人の協力者を挙げられたが、それは実現しなかった。(山口 実)

〈編集部注〉
<*> 現在は「語彙索引」と「補巻」を加えて、全15巻となっています。
<**> 現在は「新装大型版」として刊行しています。

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