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〈中国文化叢書1〉言語 (新装版)

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 本書は『中国文化叢書』(全10巻)の第1巻として出版されたもの(初版1967年11月)。
 同叢書は1967年秋から71年夏にかけて刊行されたが、構成は以下のとおり。
   ①言語 ②思想概論 ③思想史 ④文学概論 ⑤文学史
   ⑥宗教 ⑦芸術 ⑧文化史 ⑨日本漢学 ⑩日本文化と中国
 上記のような内容の書籍は、従来からまず縦組み・上製本と相場がきまっていた。ところが、本シリーズは横組みで、箱入りとはいえ並製本であった。『大漢和辞典』『新漢和辞典』をはじめ「漢文教科書」などの出版を手掛け、いわゆる「お堅い」教育書・専門書の出版社とみられていた大修館書店が、中国文化史に関する「体系的な叢書」を斬新な編集形態で刊行したということで、当時の書籍業界でも驚きをもってむかえられたという。
 本叢書の編集に参加された前野直彬(まえの なおあき)東京大学助教授(当時)〔1920-1998〕の「私たちは中国文化の歴史について綜合的な解説書を提供する必要を感じた。そして企画されたものは、今日まで積みかさねられてきた中国研究の現在の時点における集大成である。この段階に至るまでの先人の 業績に対して、私たちは深い敬意を払うけれども、過去への追憶のためにこの叢書を作ろうとするのではない。この段階に立って、私たちの目は未来へと向けられている。私たちは明日のために、この叢書を作っているのである」(『漢文教室』第83号、1967年10月、太字は引用者 )とのことばが全巻に通じる編集目標、意気込みを端的に表現しており、第1巻にもそれが如実に反映されていることはいうまでもない。
 版元としては、一般読書人はもとより、中国文化史関連の専門課程に進まんとする大学生向けのテキストを想定して、手にしやすいことを最優先して企画・編集したそうだ。とはいうものの、学部の学生にとっては手ごわい専門的内容で、通読するには相当の基礎知識と忍耐とが要求される論稿が多くて敬遠されがちになったことも事実であった。ちなみに、紹介子は本叢書発行の数年後の大修館書店入社で、同叢書が刊行されていた時にはまだ学生の身分で、大型書店に平積みされていた一冊を手にとってはみたもののまったく歯がたたずに忸怩たる思いにとらわれつつ、しかし一方で「中国研究に新しい時代が到来したこと」を直感した記憶がある。
 いずれの巻も、いま読んでも新鮮味を失わない内容を保持しており、中国文化史理解のための基礎知識が凝縮さている本シリーズに、専門課程の大学生にはぜひ「挑戦」してもらいたいものだ。

 さて、第1巻の「言語」である。構成は、「Ⅰ序説」「Ⅱ音韻論」「Ⅲ文法論」「Ⅳ中国の文字改革」「Ⅴ中国の方言」の5部立て。「音韻論」は上古から現代までを4章に分け、「文法論」は漢語文法論の諸問題、研究略史、古典語の語法、同語彙、中古漢語、近世・近代漢語、現代語の語法、同語彙の8章に分担され、古代漢語から現代中国語まで歴史的に論述されている。
 たとえば、「中古漢語の音韻」(平山久雄(ひらやま ひさお)当時東京大学講師執筆)は、いまも中古漢語音韻の概説として比すべきものがなく、漢語音韻論入門の必読文献となっている。中古音(隋代601年の『切韻』〔一種の字書、発音字典〕の基礎となった方言の音をいう)は、それ以前にさかのぼる上古漢語の音韻についての研究、またくだって中古以後の音韻探究の起点として位置づけられるわけで、本論考は「Ⅱ音韻論」の中核をなすもの。ここでは、「『切韻』は今日からその内容を全面的に窺い知ることのできる最古の<韻書>」とされ、原本は失われているためにそれが増補改訂された切韻系の代表の韻書『広韻』(北宋1008年)の仕組みが解説される。そして中古音を49枚の図式に整理した音韻図である『韻鏡』がとりあげられていて、中古漢語のおおよその枠組みを知ることができる。以下、専門的になるが、実例をもって中古漢語の声母・韻母の音価(文字一つ一つに対応する音)推定の基本的方法が述べられ、「中古の音価表」が解説される。
 「Ⅲ文法論」は8章立てで、上古から漢代、魏晋代から唐末の中古漢語、宋代から明末の近世漢語、清初から民国初期までの近代漢語、五四以後の現代漢語(白話運動、標準語普及運動の影響も含まれる)までの語法・語彙の変遷が論述される。
 「Ⅳ中国の文字改革」(輿水優(こしみず まさる)当時東京外国語大学助教授執筆)は他章の論稿に比して長くはないが、清末の漢字改革運動から中華人民共和国建国後の「漢語拼音方案」「漢字簡化方案」の制定にいたるまでの流れが簡潔に説明される。中国の文字改革・政策は、その後、「第2次漢字簡化方案(草案)」(1977年、86年廃止)、「簡化字総表新版」(86年)、「現代漢語常用字表」(88年)、「現代漢語通用字表」、「通用規範漢字表」(2013年)などをへてきているが、本論稿でそこにいたる現代中国の漢字規範化の歴史を把握することができる。
 以上、一部を紹介したが、当時30歳代から40歳代の研究者を中心に執筆されており、学界では「各専攻分野の新進の学究の執筆」と歓迎された。刊行後すでに半世紀近く経過していて、現在では分野によってあらたな研究成果が積みかさねられているとはいえ、その後も一貫して日本の漢語研究の中心的役割を担ってきた研究者による本論稿集は、かけがえのない「漢語研究の歴史的文献」といえ、この分野の研究に踏み出す者には欠くことのできない必読書となっている。(舩越國昭)

(注記)本書については,2011年に新装版が刊行された。なお,本叢書の5巻以降は現在品切れとなっている。

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