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『「山月記」はなぜ国民教材となったのか』

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 中島敦の「山月記」といえば、高校の頃に学習し、「詩人になりそこなった男が、発狂して虎になってしまう」という強烈なイメージとともに、記憶している方が多いのではないでしょうか。
 「山月記」は、高校2年生の小説教材として盤石の地位を占めており、芥川龍之介の「羅生門」、夏目漱石の「こころ」といった、いわゆる有名定番教材を押さえて、教科書掲載回数は過去最多を誇ります。現在、各教科書会社から刊行されている「現代文B」教科書での掲載率は実に100%! 全国の多くの高校2年生は「山月記」を学習することになっているのです。
 「山月記」が雑誌「文学界」に掲載されたのが1942年、高校の国語の教科書に初めて掲載されたのが1951年でした。本書は、「山月記」が国民教材となるまでに、どのように社会に、また、教育界に受け入れられていったのか、その知られざるドラマを緻密にたどり、現在の国語教育が抱える問題をあぶり出すものですが、「知られざるドラマ」とは、決してオーバーな表現ではありません。
 もともと本書は、著者、佐野幹先生が、それまで勤務していた高校を休職し、入り直した大学院でまとめられた修士論文がもとになっています。指導された府川源一郎先生から編集部にお声がけをいただき、1冊にまとめることに決まったのでしたが、担当として、弁当箱のような厚さの論文を初めて読んだときのことが思い出されます。論文ではなく、あたかも上質なミステリでも読んでいるような感覚で、グイグイとその内容に引きこまれました。そこには、一教材の受容史というに止まらず、教材としての文学作品を取り巻く当時の社会的・文化的要素が複雑に働き合う中で立ち現れてくる現象、そしてそれが引き起こす問題が明確に描き出されていました。
 分量的に論文全文を出版というわけにはいかず、かなりのダイエット、わかりやすくするためのリライトをお願いしました。まるまる1章分割愛した箇所もあり、もったいない思いで一杯でしたが、佐野先生は論文のエッセンスを巧みに引き出すリライトをしてくださいました。論文を読んだ時に感じた「きわめてスリリング」(帯の府川先生のお言葉)な読み応えはそのままに、重要なポイントがコンパクトにまとめられた書籍が誕生しました。
 読み進めるうち、あまり知られていない事実が次々と発覚していきます。もともと、「山月記」は、「古譚」というタイトルのもとに収められている、四編のうちの一つだったことはご存じでしょうか。ほかの短編は「狐憑(きつねつき)」「木乃伊(ミイラ)」「文字禍」です。この「山月記」だけが、これらとは切り離され、独立したかたちで読まれているのです。ほかの三編は高校の授業でも参照されることはほとんどないようです。一体なぜ? 
 また、「山月記」が初めて教科書に掲載されたときは、読解の教材ではなく、ほとんど読書教材的な位置づけであったことが指摘されています。読解教材として扱われるようになったのはもっと後のことだというのです。何が「山月記」の扱いを変えたのでしょうか。
 もう一つ、「山月記」の話では、虎になった李徴が、自分がかつて作った詩作品をそらんじるのを聞くうち、素質は一流に違いないが、「このままでは、第一流の作品となるのには、どこか(非常に微妙な点において)欠けるところがあるのではないか」と袁傪が感じる場面があります。学校の授業では「何が欠けていたのか」という問いがなされ、それに対して、「人間性の欠如」、という回答が用意されていました。それは長い間、国語の教室で行われてきた解釈でした(私も高校生の時、そのように習った記憶があります)。本書では、この解釈の発端が増淵恒吉(ますぶちつねきち)という当時の日比谷高校教師の、1956年の授業実践報告によるものであることを指摘した上で、なぜこの解釈がなされたのか、またなぜ長い間、強固に受け入れられてきたのか、という疑問を解き明かします。
 この疑問は、「山月記」がなぜ国民教材としての地位を獲得したのか、という問題と密接に関わっています。そしてその問題は文化的・社会的状況、つまり、「もはや戦後ではない」と経済白書にうたわれた時代、安定した資本主義経済の発展に向かいつつあった時代、そうした社会的背景を抜きにしては語れない、ということが示されるのです。
 多くの資料をもとに、一歩一歩真相に近づいていく探偵であるかのように、著者、佐野先生は「山月記」の謎を解き明かしていきます。その先に見えてくるものは何か、ぜひ、実際に本書を手にとってご確認ください。教科書とは、国語教育とは、また文学教育とは何なのか、さらに、文学が社会に受容されるとはどういうことなのか……高校の先生方はもちろん、一般の方も興味深く読むことができるはずです。
 付け加えて挙げておきたいのは、これまでの「山月記」に関する、教科書、指導書関係の資料を付録として掲載していることでしょう。例えば、「山月記」本文の後ろに付く「学習の手引き」の調査結果、「主題」をどのようにとらえてきているか、の調査、また、これまでの注目すべき授業実践例を20例挙げてあります。「山月記」が高校現場で扱われてきた具体的な姿が浮かび上がってきます。高校の先生方には、ぜひご授業の参考としていただければと思います。(林雅樹)

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