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東洋学の系譜

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 大修館書店では、1990年4月から『月刊しにか』という雑誌を創刊することになった。時あたかもソ連の崩壊、ベルリンの壁撤去というような世界史的に大きな変動の時期にあたり、改めて中国・東アジアの文化を考える、という大きな使命をもって創めた雑誌であったが、その柱として立てたのが「東洋学の系譜」という連載であった。

 世界に冠たる日本の東洋学をささえてきた学者の何人かは知っているけれど、それでは近代以降、いったいどのような人がいて、どのような研究がなされてきたのだろうか? すでに鬼籍に入られたこうした研究者の業績や生涯を、当代一流の執筆者の手によって記録に留めておくこと、それはきわめて意義深いことではあるけれども、どの学者のことを、どなたに執筆していただけばいいのか?

 自分で企画していながら編集経験の浅い私は途方に暮れたが、とにかく専門家の助言をもらいながら進めるしかない。雑誌創刊の雑務の中で、まっさきに頭に浮かんだのが京都大学の宮崎市定先生であった。しかし、宮崎先生といえば天下に鳴り響く高名な東洋史家、それまで社も私個人もまったくおつきあいをいただいていない。私のような者が電話しても相手にしてもらえないのではないかとそうとう迷ったが、こういう大きな仕事をするのに迷っていてもしかたがない。意を決してご自宅に電話すると、先生は一通り私の話を聞いておられたが、とりあえず京都にお出でなさいと、優しくいってくださった。

 私はとるものもとりあえず京都は吉田山の東麓にある閑静なご自宅に伺った。宮崎先生は日本の東洋学を築きあげた数々の学者たちの業績やエピソード、その評伝を書くにふさわしい研究者などを、長時間にわたり、懇切丁寧に教えてくださり、私のノートは何ページにもわたりメモでびっしりと埋まった。いってみれば宮崎先生から、半日にわたって日本の東洋学研究史の個人教授をうけたようなもので、今から考えればとても贅沢な時間であった。先生のお宅を辞した時には日がとっぷりと暮れていたが、なんとかこの連載をやっていけそうな自信が湧いてきたし、また続けなければならないという使命のようなものを感じて、一人で興奮したことを覚えている。

 こうして『月刊しにか』の連載「東洋学の系譜」が始まった。始めてみるとまことにありがたいことに、いろいろな方から、こういう学者を取りあげたらどうかとか、あの学者のことならA先生に書いてもらうといいとか、さまざまな助言をいただいた。

 社とも縁の深い鎌田正先生・原田種成先生、京大人文研の髙田時雄先生、東洋文庫におられた松村潤先生、東大東洋文化研究所長であった池田温先生、木簡の特集でお世話になった大庭脩先生、早稲田の村山吉廣先生など、錚々たる研究者から執筆のご承諾をいただいただけでなく、親しくご引見くださり、長時間にわたり貴重なご意見をいただいたことは、編集者冥利につきることであった。

 特に江上波夫先生には最初、池袋の古代オリエント博物館でお目にかかったが、この連載企画を評価してくださり、恩師・藤田豊八の評伝を書いてくださることになった。江上先生はきわめてご多忙の方であり、なかなか原稿がもらえないことで有名であったが、当時本郷にあったご自宅になんども足を運び、奥様のご厚意もあって、ついに原稿をいただくことができた。これについては後に池田温先生からもお褒めの言葉をいただいた。日本の東洋学、東西交渉史学において欠くことのできない藤田豊八について書ける人は今や直弟子であった江上先生をおいていない、その江上先生によくぞ書いてもらった、と。

  「東洋学の系譜」の連載はけっきょく6年間続き、第1集第2集欧米篇の3冊(合計72人の学者の評伝を収録)の単行本として結実した。毎月の雑誌発行に追われていた私は、ただただ夢中でやっていただけだが、このように多くの研究者の方々からご協力をいただけたことは何にもましてありがたいことであった。

 今はなき宮崎市定先生も、『月刊しにか』が特集した『中国文化を読む279冊』(1994年5月号)の中で、「宮崎市定がすすめる5冊」のトップにあげて『東洋学の系譜』を推薦くださっている。
(森田六朗)

 ◆なお、『月刊しにか』は現在休刊となっているが、国立国会図書館のデジタルコレクションで、全号(139冊)の目次を検索することができる。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/4438538?tocOpened=1

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